第101号 自己を管理するとは
ある時代小説に、修行僧と若侍の間にこんな会話がありました。
「不平不満を持った時から不幸は始まるのだ。不平不満を毎日毎日持ち続けると、不幸のどん底へ落ちて行くぞ」とです…。
ここに10人いれば10人すべての人は、心ならずも、何度かは『不平不満』を口にしてしまったことがあるのではないでしょうか。
そんな時には、その不平不満をいつまでも引きずらないことが大切だと、勝手ながら私は思考した次第でした。
始めの詩は、自身の昔を回顧して作った詩です。
なぜか、見えなくなってから、自分自身や社会の出来事を想起して、ああでもないこうでもないと、考えることが多くなりました。では読んでください。
〈取捨選択〉
生まれてから今日までの
60年間を
思い起こせば
取捨選択の繰り返しだった
ある時は
惑い
悩み
苦しむ
優柔不断な
自分がいた
またある時は
深く思料し
ひらめき
胸を張り
毅然として
事に当たる
自分がいた
そこには
いつでも
己の責任において
取捨選択をしようとする
自分であったと
それだけは
揺るがないという
自信がある…
と想いたい
▽ 見えなくなったことの効用を数えると、いくつかありますが、自分を俯瞰する事が出来るようになったこともその一つです。自分を客観的に返りみて、反省したり、誉めてやったりしています。そんな一人遊びも、時には楽しいものです。
次の詩は、自己を高めようと、努力する様子を書いてみた詩です。視覚障害になってからは、自分自身の内面との戦いが増えた気がします。小説の中に出てきた修行僧ではありませんが、見えなくなってから、自分の人間性をよくよく観察する機会が増えました。では読んでください。
〈泣きたくなったら〉
泣きたいときには
泣けばいい
可笑しいときには
笑えばいい
腹が立ったら
真一文字に
口を結んで
だるまさんになる
愚痴を言いたくなったら
腹の奥底へ
押しやって
滝のように汗を流し
洗い流す
それでも不満が
膨らんできたら
神様や仏様に
合唱し
目を瞑り
お経のように
何度も何度も
ありがとうございますと
唱えて
忘れ去る
▽ 私が65年間で出会った人の中に、他人の悪口や勝手な噂を、意識してかしないでかはわかりませんが、一度も口にしない人が何人かいました。私は、そんな人のことを尊敬してしまいます。私にはまねのできないことだからでしょうね。
今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。
石田眞人でした