第九十六号 雄弁は銀
今年も、早いことに私の大好きな八月は過ぎ、九月も終わろうとしています。八月と言えば、爽やかな朝顔の季節…俳句の世界では、朝顔は秋の季語だそうです。私は、夏の方が似合うように思うのですが。
ところで、以前にも『雄弁は銀、沈黙は金』と言う格言を紹介したことがありますが、この格言をご存じだった方も大勢いらっしゃることでしょう。
私は、どうもしゃべりすぎるきらいがあるようです。それで妻との関係を悪くすることもあるように感じています。
それで、私は常に『沈黙は金』と自らに言い聞かせています。
初めの詩は、ある小説の中で、春・夏・秋・冬の別の呼び方があることを知り、知ったかぶりをしてみたくて作ってみた詩です。私は、四季のある日本が好きです。
では辛抱して私の知ったかぶりにお付き合いくださいませ。

〈花風〉

花香る
青春の季節には
花吹雪に身を置いて
朱夏が訪れると
燦燦と降り注ぐ
蝉しぐれの洗礼を受ける
里山が色づく頃
白秋が訪れ
哀愁に浸った心は
赤や黄色に色づく
赤城おろしが吹き荒れる
玄冬になると
雪の舞に身を凍らせる
春夏秋冬
移ろう季節に
あなたの一挙一動を
想像しては
思わず
頬に紅葉を散らす
切ないほどに慕わしい
あなたの面影は
私の心に生き続け
花風の運ぶ香りに
身を焦がす

※ 青春(せいしゅん):春の別称。 朱夏(しゅか):夏の別称。
白秋(白秋):秋の別称。 玄冬(げんとう):冬の別称。

☆ ある本に…東西南北の守護神として、古代中国の思想に、『東は青龍・南は朱雀(すざく)・西は白虎・北は玄武(げんぶ)、そして中央は麒麟(きりん)』とあり、それを春夏秋冬になぞらえて、『春は青春、夏は朱夏、秋は白秋、冬は玄冬』としたと書いてありました。
紅葉を散らす(もみじをちらす):怒りや恥ずかしさなどで、顔を赤らめること。

▽ 詩人の白秋(北原白秋)は、秋の生まれなのでしょうか?最近は、子供のころと比べて、春と秋が短くなったような気がしています。それは私だけ感じていることなのでしょうか。
次の詩は、ある本に書かれていたことを私自身に当てはめて作ってみた詩です。
その本には『天国に入るには12の門があり、その門には12のタイプの門番が立っていて、その門を通る人を監視している』と書いてありました。
つまり、苦手なタイプの人を極力減らすことで、天国に入りやすくなるのだそうです。
私は思いました。苦手なタイプの人でも、愛することができたなら、私の心は広く深くなれるかもしれないと…そこで自身に言い聞かせてみた詩です。
どうぞ読んでください。

〈嵐を呼ぶ男〉

声が大きい
無駄に大きい
それはまるで
便所のシャンデリアのように
エネルギーの浪費ではあるまいか
一旦そいつが口をひらけば
大臣やら
タレントやら
プロ野球の選手やら
自分が手にできなかったものを持つ
ありとあらゆる人たちの
批判を繰り広げる
それはまるで俺の方が
優れていると言いたげに
自己顕示欲を前面に出すのは
哀れにすら思えてくる
俺はそいつを
人生を教えてくれる
先生にしようと決めた
優秀な反面教師として…

▽ 皆さんの近くに、口を開けば、愚痴やら不満やら人の批判を繰り広げる人はいませんか。
私もそうならないとは言い切れないので、なるべく沈黙に徹する努力をしています。
友達に言わせると、愚痴や批判を繰り返す人の唇は、いつも荒れているとのことでした。
言うまでもありませんが、皆さんも唇が荒れないように、気を付けてくださいませ。
今回も読んでくださりありがとうございました。
石田眞人でした