第九十四号 天地の道理
突然ですが、冒頭に、以前読んで心慰められた、禅の心として書かれていた、良寛の『花無心』という詩を紹介させていただきます。
『花無心』
「花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を訪ぬ。花開くとき蝶来たり蝶来たるとき花開く。吾(われ)もまた人を知らず。人もまた吾を知らず。知らずして帝則(ていそく)に従う。」…以下は、本に書いてあった解説です。
『花は意志をもって蝶を招くのではなく、蝶も意志をもって花を訪ねてはいない。
花は咲く時節がきたら咲き、蝶は飛ぶ時節がきたなら飛ぶのです。
ただそれだけのことで、それが自然の摂理(天地の道理)なのです。
蝶は花から蜜をもらい、蝶は花から花に花粉をつけてやります。
自然とその関係で互いの子孫の繁栄につながっていくのです。
それこそ自然の仕組みの見事さなのです…人間の小さな計らいなど、どうにもならない大自然の仕組みの中で、私もあなたも、人間は生かされている。
一人ひとりのつまらない思惑などどうでもよい。合掌』以上でした。

※ 帝則(ていそく)の意味を調べたのですが、よくわかりませんでした。
始めの詩は、自棄に浮かれ切った己を振り返り、戒めるために作った詩です。
では、読んでください。

〈寂しいと〉

寂しいと
胸にぽっかり穴が空く
苦しいと
ずっしり身体が重くなる
悲しいと
心に力が入らない
そんな時こそ
あなたを思いだし
自分自身を
叱咤し
激励して
前を向く
可笑しいと
大きな口でわっはっは
嬉しいと
心がふあふあ軽くなり
楽しいと
人の気持ちに疎くなる
そんな時には
あなたの言動を思いだし
自分自身を
叱咤し
戒めて
自分の原点
振り返る

▽ 人によっては喜怒哀楽が顔に出にくい方もいるようですが、私はもろに出てしまい恥ずかしい経験をしたこともあります。
次の詩は、その日のお天気によって気持ちの浮き沈みが大きな私自身を、戒めるつもりで書いた詩です。
どうぞ読んでください。

〈晴耕雨読〉

晴れれば嬉しい
雨でも嬉しい
そんな風流人には
いつまでたっても
なれそうにない
・・・
太陽のありがたさを
全身で受け止める
目に障害を持ってから
陽光の優しさから
勇気をもらっている
東から
朝陽は登り
空をパステルカラーに
染めて行き
やがては
広い広い青空も
白く光る雲も
煙棚引く里山も
紅く紅く塗りこめながら
西の山へ飲み込まれ
星たちの共演が始まる
そうしてまた
朝が来る
そんな当たり前が
限りなく嬉しい
・・・・
晴れればうれしい
雨でも楽しい
いつかはそんな
風流人
晴耕雨読を親しむ
風流人になりたい

▽ 今回は、良寛の詩と私の詩を紹介させていただきましたが、良寛には良寛の、私には私の、皆さんには皆さんの、ものの見方受け止め方があると思います。
それで、この世の中はうまく回っているような気がします。
ただ、違った考え方や、ものの見方と触れると視野が広がるように感じます。
今回も勝手なことを書きましたが、お許しください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
石田眞人でした