第九十一号 世界が必要とする人
いよいよ夏本番間近です。去年の夏を振り返ってみると、記録的な暑さでした。今年はどんな夏になるのでしょう。今から覚悟を決めておいたほうがよさそうです。
早速ですが、以前に読んだ、本の中に『この一瞬の積み重ねが一日を作り、未来を作る』と書いてあったことを想いだします。また、ある本にはこんなことが書いてありました。
『家族の為に考えて行動する人は、家族が必要とする人。村の為に考えて行動する人は、村が必要とする人。国の為に考えて行動する人は、国が必要とする人。世界の為に考えて行動する人は、世界が必要とする人。』とです。
あなたは何の為に何を考えて行動しますか。最近私は、自然界に意識が向いているように感じます。
初めの詩は、花をテーマにして書いてみた詩です。
今想えば、視覚を失ったことで、嗅覚や聴覚が、少しだけ敏感になったようです。
それと、触覚が重要な役割を果たすようになりました。
それとともに、見えている時とは関心事が大きく変わり、花を筆頭に、風などの自然界に心を惹かれるようになりました。
では読んでください。
〈もしも私が花だとしたら〉
雨の日を楽しくしてくれる
紫陽花の花
芳醇な香りを放つ
白ゆりの花
朝の窓辺を爽やかにする
凛とした朝顔の花
真ん丸なお月さまの光に浮かぶ
畦に咲く月見草
広い大地に彩り与えて咲く
甘い香りなラベンダー畑
森に木漏れ日を浴びて咲く
名も知れぬ小さな一輪の花
人から認められれば嬉しい
気付かれず
密やかに咲くのも
それはそれでまた嬉しい
認められようが認められまいが
さり気なくコツコツと
一日一日を生かされている花
そうなれたなら なによりも嬉しい
▽ 最近は、庭先で花や野菜を栽培している人も多くなってきたようです。
何か一つでも好きなことを見つけると、人から見て、例えそれが他愛無いことだとしても、その小さな趣味が生き甲斐になるのでしょうね。
次の詩は、私の掛け値なしの本当の体験です。
科学的には説明できないことの一つですが、どうぞ読んでみてください。
※ 他愛無い(たあいない・たわいない):「他愛」はあてじで、「たあい」または「たわい」と読んでも良いようです。
〈信じられない話ですが〉
信じられない話ですが
私が40代の頃の初秋
時は日の出前の朝ぼらけ
夢現の中でぼッとしていると
そこに感じられるのは
走り回る男の子
布団にくるまれて寝ている
私の周囲を廻り
楽しそうに遊んでいる男の子
はてさてこの子は誰だったかなと
玉響考える私
次の瞬間には思考は止まり
いったいこの子は何処から入ってきたのだろうと
怒りが胸から頭へと遡り
「お前は誰だ!何処から入ってきたのだ!」と
怒号をあげる私
すると男の子は
その声に驚き
閉めたままの窓から
音もたてずにスーッと
外へ出て行ってしまった
確かここは二階だなと
思考する私
次にはほっと胸をなでおろし
あの子はこの世の子ではなかったのだと
安心し納得し眠りについた
▽ 信じられない方がいらっしゃっても当然ですが、これは本当にあった、岩手での体験談です。
今でも、閉まったままの窓ガラスをすり抜けて、明るくなりかけた空へ消えていったあの子は、いったい誰だったのだろうと思うことがあります。
詩の中では男性としていますが、実は男の子か女の子なのか判然としませんでした。ある知人は、座敷童(ざしきわらし)ではないかと言っていました。そうだとしたら嬉しいのですが…私は、2歳で亡くなった弟かもしれないと、考えたこともありました。
長々と書いてしまいましたが、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
石田眞人でした