第八十六号 自分は自分
すでに去年の話になってしまいましたが、大正時代に山口県に生まれ、早世した詩人・金子みすゞさんの作品が、令和5年生誕120年を迎えるに当たり、世界中で読まれていると言うニュースをNHKの朝の番組で見ました。
私も、何回か以前の投稿の中で紹介させてもらいましたが、その中に『私と小鳥と鈴と』があります。
その詩には、「みんな違ってみんな良い」と言う一文があります。私は、この詩に開眼させられた思いがしました。
先日読んだ、本に『人は何のために生きているのか?それは、人から認められるために生きているのです』と書いてありました。
もちろん、このことだけが生きる目的ではありませんが、これは大切な目的の一つだと、私は感じます。
それと同じくらいに大切なのは、自分で自分を認められることではないでしょうか。自分が自分を認められるようになるためには、不断の努力が必要だと思います。
初めの詩は、令和5年の3月にこの世を去った、母を想いだして書いた詩です。母は、手をあげたり、怒鳴りつけたりしない人でしたが、一度だけ、頬を平手で殴られたことがありました。確か私が小学一年の時だったと記憶しています。そんな優しさと厳しさを持ち合わせた母でした。
どうぞ読んでください。

〈俺の母ちゃんpartⅡ〉

どこからどう見ても
美人でもなく
声は大きく
背は高く
生命力の溢れる
俺の母ちゃん
・・・・
ゴツゴツした手は
一年中ひび割れしていて
大きな背中は
汗と畑の土にまみれてる
力持ちな
俺の母ちゃん
・・・・
俺が病気の時には
近くの診療所までおぶってくれ
俺が我儘を言うと
平手が頬にとんでくる
優しくて怖い
俺の母ちゃん
・・・・
俺が目を失くした時には
真剣な顔で
妻にひたすら頭を下げ
「眞人を頼むね」と
何度も何度も言ってくれた
俺の母ちゃん
・・・・
今年8月で
90歳になり
特別養護老人ホームで
寝たきりになってしまったが
沢山の思い出をくれた
俺の母ちゃん

▽ 私の母も、去年の3月に90歳で亡くなりました。あと5か月で91歳でした。
父が亡くなったときには、涙は出ませんでしたが、母の時には、なぜか涙が溢れてきました。
次の詩は、見えないことを逆手にとり、心を自由に遊ばせて、星を巡り歩いて見たり、七つの海を渡ってみたりしてみました。
どうぞ読んでください。

〈星に乗り〉

長い黒髪が
風になびくように
尾を引く流れ星の
尖った尻に鞭を入れ
キラキラ流れるミルキーウエイで
沐浴をし
銀河の光に同化して
北極星と挨拶をかわし
北斗七星を誉め称え
紅い目のサソリ座と
言葉を交わし
自由気ままに心を遊ばせ
大きな愛に寄り添って
いつまでもいつまでも
永遠なれ大宇宙
・・・・
青く煌めく海原を
力任せに蹴飛ばして
寄せ来る波を従えて
真っ赤な血を滴らせ
猛然と近寄るサメさえも
君に一目ぼれ
子供を連れたクジラには
ウインクを投げかけて
群がるイルカたちと
ハイタッチ
燦燦と光る美しいあなたへ
玉のような笑顔を向け
大きな愛と寄り添って
いつまでもいつまでも
永遠なれ大宇宙

▽ 妄想を少しだけ膨らませてみた詩でした。
皆さんは、地球を含む太陽系、そしてこの大宇宙は私たち人間と、密接に関連していることを、私が言うまでも無くご存じのことと思いますが、東洋思想では人は小宇宙だと言われています。
そうだとすると、この地球上には沢山の小宇宙が存在していることになります。
その小宇宙たちは、みんな違う個性を持っているのです。人はみんな違った小宇宙なのだから、戦争などせずに、お互い協力し合って生きて行きたいものです。
『この世界はみんな違ってみんな良い』のですから…
今回も一方的に、私の考えを書いてしまいましたが、お許しください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
石田眞人でした