第八十四号 普段通りの力
去年の12月29日のパソコンニュースに、『中国が日本企業を、オンラインで越境調査した』と言う記事がありました。
私ははらわたが煮え立つような怒りを覚えました。中国と言う国は、勝手に日本で暮らしている私たちを監視しているという事実が、今更ですが明らかになったわけです。
この事実を踏まえて考えると、中国に限らず、先進技術を持つ国では、勝手に他国の国民を、監視できるということになります。
ただ、良識ある国は、そんなことはしないのではないかと信じたいですが…。
話は変わりますが、すっかり昔の話になってしまいましたが、去年3月に行われたWBCワールドベースボールクラシックは、40%以上の視聴率を稼ぎ出したようです。
その立役者は、去年の年末に日本やアメリカで大きなニュースになり、ドジャースへ移籍を決めた、大谷翔平選手でした。その大谷選手が言った言葉が、これもパソコンニュースで読んだのですが、「普段通り、いつもと変わらない力を出し切れば、勝ちきれる」と言うのでした。
その大谷選手の言うところの「普段通りの力」を出し切れる人は、どれだけいるのだろうかと、また不断の努力なしでは、試合を勝ちきれるだけの力はつかないのではないかと考えてしまいます。
始めの詩は、自分の人生を振り返ってみたものです。どうぞ読んでください。

〈俺だけの四季〉

俺の人生を
季節に例えてみた
すると自分が見えてきた
・・・・
春…それは
手かせ足かせで
不自由だった
手かせはコンプレックス
足かせは自己顕示欲
好きな女の子には
好きだと言えず
一歩前に踏み出したくても
足は重くて持ち上げられず
心は汲々として
身体はいつも委縮するばかり
そんな弱気な少年時代
夏…それは
自由を手に入れたくて
もがいていた
丸ごと環境を変えようと
勇んで東京に出た
それだけで自由を取り戻せたと
勘違いしていた
人生は
そんなに甘くないと思い知らされ
ああすれば良かった
こうすれば良かったと
後悔ばかりの青年時代
秋…それは
つるべ落としの如く
去って行った
最も充実した
実りの時を
過ごした
仕事から社会を学び
代議士から心意気を学び
後援者から人の心の裏表をを学んだ
七回転んで八回起き上がった
泥んこまみれで
格好悪すぎた中年時代
冬…それは
夢にまで見た
自由を手に入れた
病気をし目を失くし
心も失くした
そんな屹立した山を越えた時
心の目は燦燦と光だし
心身は昂然と翔けだす
虹さえ身方にし
新しい人生を歩き始めた
自由の何たるかを知った
夢見る夢子な壮年時代
春夏秋冬…それは
俺にしかない四季
明日からも一本道を歩いてゆこう
良く晴れた日も
ルンルンと
雨の日も
ルンルンと
暑い日も寒い日も
ルンルンと
鼻歌を歌いながら

※ 昂然(こうぜん):意気の盛んなさま。自信に満ちて誇らしげなさま。

▽ この詩を改めて読んでみると、多くの部分が、自分の過去が美化されている事実に気づきます。
次の詩は、私の、他愛無い私憤を書いたものです。総ては、私の勝手な考えですので、お許しください。どうぞ読んでください。

〈自覚してほしい〉

鼻をほじった人差し指を
ピザ生地に擦り付ける
そんな動画が
インターネットに流される
自分自身の悪行を
悪びれることもなく人目にさらす
その恥知らずな人たちは
社会人としての自覚は無いのだろうか
これからどんな人生を
送ることになるのだろうか
・・・・
「マッサージをしてもなおりゃしないのだから
やっても無駄だよ」と言うおばあさんは
実は訪問マッサージの運転手
自分もマッサージを受け喜んでいる
その無責任な発言は
マッサージの仕事で
お金をいただいている
そんな自覚のない証拠
いい年なのだから
社会人としての自覚を持ってほしい
・・・・
私も誰かに助けられ
あなたも誰かに助けられ
意地悪なおばあさんも誰かに助けられ
みんな誰かに助けられ
そしてみんな誰かのお役にたっている
助け助けられの
円運動
誰でもみんな
その輪の中で生きている
そんな自覚を持ちたいものだ

▽ ある小説の中に『50歳を過ぎてからは、瞬きをしている間に一年が過ぎていった』と書いてありましたが、まさに60年は、瞬きを数度繰り返しているうちに、流れて行ってしまったという思いです。
今回もありがとうございました。
石田眞人でした