第八十一号 挫折と絶望
今年は、元日の能登地震から始まり、二日には羽田空港で、航空機の衝突事故が起きました。一見すると、とんでもない年になりそうなように思いがちですが…そんな大事故の中で、世界から高評価を受けた事実も見逃せません。
それは、未曽有な事故だったにも関わらず18分間で避難をすべて終了し、死亡者を一人も出さなかったことへの称賛する声が世界ではあったということです。
そんな年の初めに、このテーマはふさわしくないかもしれませんが、一年の始まりだからこそ、一緒に考えていただけたなら幸いです。
以前、読んだ今野敏さんの推理小説の中に『俺は挫折はしたが、絶望はしなかった』と書いた一文がありました。私は、そのふたつの言葉の違いがよくわからなくて、挫折と絶望を字書で調べてみました。すると以下のように書かれていたのです。
挫折とは:仕事や計画などが、中途で失敗しだめになること。また、そのために意欲や気力をなくすこと。
絶望とは:希望を失うこと。全く期待できなくなること。
この結果を読んで、私は思いました。挫折とは、何らかの原因でやる気を失くしたが希望だけは残っている状態…。絶望とは、やる気も希望も失くしてしまった状態…。そんなふうに考えると、私は、挫折も絶望も経験していることに気づきます。皆さんはいかがでしょうか。
一年の始まりに、過去を振り返り、今年一年を想い、未来に心を寄せてみることも良いのではありませんか。
初めの詩は、一年の始めに、何度となく経験したことを詩にしてみたものです。皆さんの中にも、私の気持ちを理解してくださる方もいらっしゃることと思います。
では、読んでみてください。
〈四季に溺れて〉
冬は森羅万象
生まれ来る命の準備期間
暮には一年を反省し
正月には一年の計画を立てる
当たり前のようだが
意外に面倒くさくて
できない私がここにいる…
春は山川草木
目覚めと
芽生えの時
新しい旅立ちと
出会いがある
誰でも知っているし
経験をしている
まだ間に合う
今年の出発
気持ちを新たにし
明日に備える
そう考えるが
もう一方では
春を満喫している私がいる…
夏は気持ちも高揚し
解放的になる季節
それは危険な季節でもあり
海も山も生き物も
活発になる季節であり
まだまだ
やり直せる季節でもある
そんなこんなで残暑時期には
夏バテしてしまい
諦めてしまう私がいる…
秋は一年の結果が
実る季節
豊かに実る年もあり
がっかりしてしまう年もある
それだからこそ
神に感謝し
目標もたてる
天高く
馬も人も肥える季節
大好きな読書は進み
スポーツに汗を流し
それで来年に期待を寄せる私がいる…
そうしてまた
今度こそはと思う新春が訪れる
そんな繰り返しで
安易な妥協の一日が過ぎ
マンネリ化した一年は去り
5年が過ぎ
あっという間の
10年は去ってゆき
また今年こそはと思う
懲りない私がいる
▽ 皆さんは、短期目標・長期目標をしっかり立てて、今日(こんにち)まで来れましたか?
今年も、新年を迎え、初心に帰って確りとした目標を練り直してみたいと思う私です。
次の詩は、見えなくなった自分を嘆き苦しんでいた状態から現実を受け入れた時に、前進を始められたという経験をもとに書いた詩です。
それは、いにしえから途切れることなく、続いてきた時間に救われたような気がしたものでした。
どうぞ読んでください。
〈夢〉
夜昇月と
朝を告げる太陽が
俺らの夢を繋いでる
紅く染まる浮き雲と
夜空に煌めく星たちは
俺らの夢を見守ってる
冴冴とした蒼穹だけが
俺らの未来を知っている
・・・・
昨日は怒り
今日に悩む
希望に迷い
絶望に惑う
つぶれそうな胸に
清気を吹き込んで
挫けそうな心を
叱咤激励して
・・・・
たとえ目を失くしても
たとえ愛を見失っても
たとえ一人ぼっちになっても
たとえ過去に何があっても
たとえ未来に死があろうとも
あなたのぬくもりを信じ
小さな夢を握りしめて
命尽きるまで
・・・・
急ぐことはない
走らなくてもいい
時には立ち止まって
全身を目の代わりにし
名もない花を愛でながら
ゆっくりと歩いて行こう
風の向くまま
気の向くままに
・・・・
そう決めた瞬間から
止まっていた時間も
見えなくなった目も
漆黒の闇に震えていた
心さえも
一条の光を求め
まだ見ぬ世界へ向かい
動き始めた
※ 冴え冴え/冴冴/冱冱(さえざえ):澄んではっきりしているさま。さわやかなさま。
冬の寒さが透き通って身にしみるように感じるさま。
▽ 夢を忘れず、希望をもって歩むということは、強い信念や意思が必要ですね。
そのことは、私にとって永遠の課題です。
今年もよろしくお願いします。
石田眞人でした