第七十三号 貴方のタイプは?
昔読んだ、ある本に「自分が自分を見つけなければならない」と書いてありました。
皆さんは、冷静かつ客観的に、自身を見つめることはできますか。また、見つめてみたことはありますか。
そこで、私自身や私の周りにいる人たちに目を向けてみました。その結果は以下の通りです。これから書くことは、あくまでも私の勝手な考えだということを心に留め置いて、読んでくださいませ。
第一のタイプは、自分を過小評価する人。他人の目から見ると、このタイプの人は卑屈に見えるのではないでしょうか。
第二のタイプは、自分を過大評価する人、または大きく見せようとする人。このタイプの人は、負けず嫌いな人が多いように感じます。『裸の王様』になりやすいのではないでしょうか。周囲の人たちからは嫌われやすいのではないかと思います。
第三のタイプは、一喜一憂して評価が揺れ動く人。または第一から第三のタイプの複合型な人。このタイプは、正に私そのものです。ある時には天狗になり、ある時には自己嫌悪に陥ってしまいます。ちょっぴり優柔不断ですね。
第四のタイプは、自分が大好きで、自身を鏡に映しては、うっとりと見惚れたりしている人。ひとことで言えば『ナルシシスト』っぽい人。皆さんの知人には、いませんか。このタイプの人は、身体磨きには熱心なのに、心を見つめてみることは苦手のようです。つまり、人格=肉体美と考え、人格=心とは考えにくいタイプの人です。
もう一つ加えると、第二のタイプと第四のタイプを合わせたタイプの人もいるようです。
以上を踏まえて、私の出した結論は、意外に、人間は、冷静かつ客観的に自身を見つめることは難しいということです。
繰り返しになりますが、以上のことは私の勝手な考えなので、石田眞人の戯言と考え、どうぞ忘れてください。
なぜ、上記のようなことを書いたのかと言えば、性格や言動などに限らず、自分自身のことを振り返ってみることは大切なのではないかと思うからです。
皆さんも、自分なりに人間のタイプを分析して、冷静かつ客観的に自身を見つめてみることも楽しいのではないでしょうか。
初めの詩は、私自身の思いやりの足りなさを反省して、作ってみた詩です。
皆さんは自身を振り返り、自分をどう評価しますか。どうぞ読んでください。

〈真の思いやり〉

おもてなしの極意とは
千利休はこう云った
「主人は客の心になり
客は主人の心になる」と
礼儀とは
新渡戸稲造はこう云った
「おもいやりの心が
態度に出たものである」と…
私は想った
真の思いやりとは
父母の懐のように
温かく平安で
地球を覆う空気のように
気高さとさりげなさをもち
それでいて
意外に単純なのだなと…

▽ 五千円札にもなった新渡戸稲造は、『武士道』を書いたことで有名ですが、武士道の基本理念は、儒学だということはご存じだったでしょうか。
また元アメリカの元大統領ジョン・F・ケネディの愛読書だったことでもよく知られています。次のことは後から知ったのですが、武士道の原本は、英語で書かれた為なのか、日本よりもアメリカを中心に海外で多く読まれているようです。
またまた、本の受け売りからの知識をひけらかしてしまいました。お許しくださいませ。
次の詩は、妙に感傷的な気分に浸りたくなった時に、夕焼け空をキーワードにして作った、私の空想です。
皆さんは、故郷を離れて暮らしていると、おセンチな気分になりませんか。
どうぞ読んでください。

〈夕焼け空〉

西の向こうの水平線に
大きな大きなお日さま熔けて
夕風そっと頬を撫でるころ
一日の疲れを吐息に込めて
額に汗して父さんは
よっちらこっちら自転車をこぐ
・・・・
西の向こうの水平線に
沈むお日さま海染めて
船の汽笛が響くころ
海鳥どこかへ飛んで行き
姉さんゆらゆら電車に揺られ
遠く離れた郷想う
・・・・
西の向こうの山の端の
空を紅く紅く染めるころ
七つの子を持つ烏たち
子烏恋しと飛んで行く
それ見た子供は
腹の虫鳴かせて
母待つ家路を駆けて行く
・・・・
西の向こうの山の端に
今日もお日さま落ちて行き
そのころ里の家々の
お勝手の窓から湯気がたち
働き者の母さんは
割烹着を着て大忙し

▽ 若い人の中には、割烹着をご存じない方もいるのではないでしょうか。
話は変わりますが、皆さんは、朝日と夕日では、どちらが好きですか。比べること自体ナンセンスだという方もいることでしょうが、私は、年を重ねるごとに夕日が好きになりました。
今回も、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
石田眞人でした