第六十六号 縁は異なもの…
広島サミットは無事終了したようですが、その場にウクライナの大統領が訪れ、現状を訴えていました。
ロシアがウクライナに侵攻を始めてから、もう一年と三か月になるのですね。この戦争の行方を、似た者同士の国、中国が見守っているようです。
この争いの結果次第では、中国が、台湾に攻め込むことさえあるようなことを言っている人もいます。ロシアや中国の今後を、見えない目で確り見ていなければと思う次第です。
話は変わりますが、私が、視力を失い障害者手帳を交付してもらってから、今年で早13年目になります。
その12年間で、様々な人たちと出会い、多くのことを教えられ、両手では抱えきれないほどの感動と、胸ポケットに収まるほどの悪意と、数え切れない一期一会がありました。
振り返ってみると、一番身近な存在である両親から多くを学びました。母と父は、お見合い結婚だったと聞いています。両親を比べてみると、父は優しく、母は厳しい人でした。
そんな父母から生まれた私は、時々不思議な感覚を覚えます。もしも、父と母が出会っていなければ、私と言う存在はこの世に生まれなかったのです。まさに『縁は異なもの、味なもの』ですね。
始めの詩は、見えない目を瞑り昔を回顧した時に感じた感謝の気持ちを書いてみたものです。どうぞ辛抱して読んでください。

※縁は異なもの味なもの(えんはいなものあじなもの):男女の縁はどこでどう結ばれるかわからず、不思議でおもしろいものであるということ。縁は異なもの。

〈ありがとう〉

昭和に生まれ
平成を生きる
今日までの55年間に
ありがとう
辛さ苦しさ悲しさに
ありがとう
喜びや感動に
ありがとう
すべては楽しい想い出なのです
私に人生を与えてくれた
父と母からは
自由に生きる喜びや
責任を背負う孤独さを
教えられました
20歳の頃
曲がりくねった生き方に
一石を投じ
直くしてくれた恩師
それからは
平面的な生き方を改め
立体的な生き方にこそ
真実な喜びがあることを
学びました
平面的で
刹那的な楽しみの
虚しさと
立体的で
普遍的な喜びの
感動を知りました
そうして
何よりも誰よりも
感謝の気持ちを伝えたいのは
一期一会の
喜びを教えてくれ
生きることへの
勇気をくれた
神様や仏様
そうしてご先祖様へ
ありがとうのすべてを送りたいのです

※ 平面的で刹那的な楽しみ:今さえ楽しければ後はどうでもよい、と言う考え方を私なりに表現した言い回しです。
立体的で普遍的な喜び:今さえ楽しければよいということではなく、たとえ今が苦しくても、ここを超えた時に待っている大きな喜びのことを私なりに表現した言い回しです。

▽ 改めて振り返ってみると、良し悪しは別にして、沢山の出会いと別れがありました。意識して学ぼうとしなければ何も残りませんが、そこから何を学んだかが、自分自身の宝になるのですね。
次の詩は、ある晩布団の中で、父と母を想ったときに感じたままを詩にしてみたものです。皆さんのご両親はお元気でいらっしゃいますか。私の父と母は、すでにあの世へ旅立ちました。
では読んでください。

〈父母(おや)〉

学校にいても
どこにいても
家にいると思うだけで
心強い
遠く離れて暮していても
故郷にいると思うだけで
心が弾む
なかなか会うことが
叶わなくても
元気にしている知らせがあるだけで
安心できる
歩けなくなり
施設に入っても
生きているだけで
心は暖かになる
例えば亡くなってしまったとしても
想い出があるだけで
生きていける
とってもとっても
ありがたい存在
それが父母(おや)

▽ 私の子供の頃(昭和30年代から40年代)は、携帯電話も無ければスーパーマーケットもコンビニもなく、私の家では、自家用車もエアコンさえもない時代でした。
しかし、とても楽しい日々を送っていたように思います。
今、目を失くして想うのは、人生は、まさに山あり谷ありで、人知では思いもよらない出来事ばかり起こり得るのだと…つくづく思うのです。
まさに「人生とは、辛くて、楽しい現実」だと感じます。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
石田眞人でした