第六十三号 心の目で…
12月25日はイエス・キリストの誕生日だということは誰でもが知っています。
では、4月8日はお釈迦様の誕生日だということをご存じでしたでしょうか。お隣の国韓国では、この日を祝う風習があるそうです。仏教となじみの深い日本でも、少しは意識したいと想うのですが、いかがでしょうか。
話は変わりますが、以前読んだ小説に、『人の目は自分自身は見えない作りになっている』と書かれていました。それを読んだ刹那、私は何度も大きく頷いていました。
なにを感じたかと言えば、『自分以外の人の良し悪し…特に悪い習慣や癖、それに悪い性格や容姿など』はよく見えるのに、自分自身の癖や言動などは、見えにくいことに気づいたのでした。それは、反省点だけではなく、褒められるべきところも、目には見えにくいのでした。
一般的に、反省を促すときには「胸に手を当てて考えなさい」と言われ、過去やついさっきの自分の言動を思い起こすときには目を瞑って考えたりもします。
つまり、自分自身を見つめるためには、心の目を駆使しなければ見えないのでは?と思った次第です。
見方を変えると、目を失くした私は心の目が多少なりとも発達したために、自分の言動がよくよく見えるようになったのでした。これも見えなくなったことの効用ですね。
始めの詩は、あることないことを想像力で補って遊び心で作ったものです。子供の頃や二十歳の頃に犯した間違いとは言え、反省することも多々ありました。では、読んでください。
〈ごめんなさい…反省文〉
あの時はごめんね
それはまだ携帯電話もない
昭和の時代でした
待ち合わせ時間を
3時間遅れて来たあなたを
笑顔で迎えられずに
怒りを飲み込んだ顰めっ面で
睨みつけてしまいました
あの時は広い心になれず
ごめんなさい
・・・・
あの時はごめんね
それはまだ私たちが若い頃
意地をはり合った青春時代
私は君のことが好きなのに
一度も好きと言えずに
君を不安がらせてしまい
怒り出した君と喧嘩をし
結局は別れてしまったね
あの時は素直になれず
ごめんなさい
・・・・
髭が濃かった美術の先生 後悔しています
先生は赤鬼のような顔をしているのに
ロマンチストなところが本当は好きでした
それでも夏休みの宿題は
決まって「水彩画を描いて来なさい」でしたね
私は一度も宿題をやりませんでした
宿題をすることとさぼることと秤にかけていました
それで結局15分だけ正座をすれば済むと甘く見ていました
あの時は楽をすることばかりを選んで
ごめんなさい
・・・・
クラス担任の美人で優しかった先生 恥ずかしいです
それは確か小学2年生の時でした
先生が名付けてくれた悪ガキ三人組の
名声を高めてしまいました
僕たちはどうしても好奇心を抑えられず
裸で健診を受ける女の子たちを覗き見してしまいました
それを見咎められて
バケツを持って廊下に立たされましたね
あの時は燥ぎ過ぎてしまい
ごめんなさい
・・・・
君の背の下着のラインに見惚れて
授業中に君の背中にゴム製のカエルを入れました
Sちゃんごめんなさい
教室の床にしゃがみ込んで話している
君のスカートを踏んずけて
立ち上がれない様子を笑ってみていました
Y子ちゃんごめんなさい
とにかくクラスメイトの皆さん
迷惑をおかけし
本当にごめんなさい
※これはノンフィクションです。
▽ 高橋真梨子さんの歌に「ジョニィへの伝言」という歌がありますが、その歌詞に♪ジョニーが来たなら伝えてよ…二時間待ってたと♪とあります。
私はまだ妻とお付き合いしている頃に、三時間待たされたことがありました。ジョニーを待っていた彼女は、もう少し待っていたなら幸せな結果になった、と私は想うのですが、皆さんはどう想いますか?
次の詩は、川面に映る月を思いながら作ってみたものです。
太陽を神に例えると、その光を反射して闇を照らす月は何に例えられるかと楽しみながら考えたのでした。
ではどうぞ読んでください。
〈水月〉
森羅万象を育む
力強い太陽が
神だとすれば
その輝きを全身で受け止め
闇夜を導いてくれる
真ん丸な月は
慈悲深いお釈迦様
それとも優しいイエス様
あるいは人の道を説く孔子様
我が心を
凪いだ海に例えれば
心に光る
丸い月
その煌煌たる輝きで
全身に溢れるのは
温かで平穏な力
そんな愛に抱かれれば
いつでもどこでも
水月な心に導かれる
▽ 昔は、大洋や山などの自然界を、神様だとして敬っていたようですが、今の世の中は、自然界や人だけではなく、敬うべき存在、尊敬できる人が、自身の心に在る方は幸せのように思えます。
また自分自身に起こる減少総てを、偶然と考えるか、必然と考えるかで、自らの行動や考え方は変わると思うのですが…
今回も、最後までお付き合いくださりありがとうございました。
石田眞人でした