第五十八号 生きてるだけで…
名は体を表すと言いますが、そこには、ご両親やご家族の方たちの真心や願いが沢山込められているのではないでしょうか。
話は変わりますが、皆さんは、明石家さんまさんのお嬢さんの名前をご存じでしょうか?私は『いまる』と言う名前を聞いた時「変わった名前だな」、平たく言えば「変な名前だな」と思いました。
しかし、その名前の由来を聞くと「生きているだけで丸儲け」と言う、父親である明石家さんまさんの人生観や願いが込められているのでした。
それを聞いてから「良い名前だな」と感じたのと同時に、「いまる」と言う響きにさえも好感を持つようになりました。
私は、目に重い障害を持ってから、生きていてもいいのだろうか、などと考えたものですが、最近は、「生きているだけで丸儲け」と言う考え方から学び「生きているだけで社会貢献」と自らに言い聞かせています。
それはちょっぴりこじつけであり、風が吹けば桶屋が儲かる的な考え方ですが、障害を持つ私でも、少しは誰かの役に立ちたいという気持ちにほかなりません。そんな気持ちは誰にでもあることだと思いますが、たまにはそんな気持ちを考えてみても良いのではないでしょうか。
始めの詩は、一昨年のの正月の朝荒川土手をウオーキングしている時に、ヘルパーさんが「凧あげをしている人が向こう岸にいますよ」と言った一言から想像を膨らませて考えた俳句と詩です。どうぞ読んでください。
※ 風が吹けば桶屋が儲かる:日本語のことわざで、ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことのたとえである。また現代では、その論証に用いられる例が突飛であるゆえに、可能性の低い因果関係を無理矢理つなげてできたこじつけの理論・言いぐさを指すことがある。また全く期待できそうもないことへ期待を持とうとするたとえでもある。
⇔強い風によって砂ぼこりがたつと→
砂ぼこりが目に入ったために盲人がふえ→
その人たちが三味線で生計を立てようとするため→
三味線が多く必要になり→
三味線の胴に張る猫の皮の需要も増え→
そのために猫がへり→
その結果増えた鼠が桶をかじるので→
桶屋がもうかって喜ぶというもの。
〈一月の風〉
『凧揚げや糸引く父に子はスマホ』
小昼の時分は
幾分過ぎて
昼食間近な
午前中
一月の寒さに
震えていたが
心に喝を入れ
つむじ風に
木の葉舞う
荒川土手に出た
すると胸に潜む鬱屈は
空に熔けて行き
心には凛とした風が流れ
燦燦とした青空が広がる
※ 小昼(こひる・または、こびる):正午に近いころの時刻。昼食と夕食の間、または朝食と昼食の間にとる軽い食事。
▽ 皆さんは、今年の正月休みをどう過ごしましたか。私は、子供の頃のお正月は、意味もなく楽しみにしていたことを想いだします。
次の詩は、国リハで学んでいる頃作った詩です。時期は1月の中旬、冬休みも終わりまもなくのころだと記憶しています。
この時間帯は、午後の遅めの時間には西日が眩しくて、私の目にはただ真っ白に移り、深い霧の中に迷い込んだように感じたものでした。
そんな様子を書いてみました。丸ごと想像を膨らませて書きました。どうぞ読んでください。
〈サンセットタウン〉
午後四時二十二分
街は太陽に飲み込まれ
森もビルも空さえも
プラチナ色に染められて
誰もかれもは目を細め
光の溢れる街を行く
やがて西の山々に
白い光が溶け行く頃
スイートホームに灯がともり
街角さえもさんざめく
・・・・
1月半ばの太陽は
遠慮がちに南を走り
白く静かに落ちて行く
溢れる光が街々を
プラチナ色に包む頃
遠い国から雪風連れてきて
カサカサ落ち葉は舞い踊る
地球の裏の国々に
白い光は飲み込まれ
お疲れ様が 街を行く
・・・・
家族の食卓を心に描き
大禍時に足早め
西の空を仰ぎ見て
星の瞬きに足を止め
一つ二つと数えれば
そこにあるのは愛娘の顔
愛する家族に迎えられ
お帰りなさいが聞こえたら
お疲れ様のひとことが
萎んだ心に沁み渡る
※ 大禍時(おおまがどき):大きな災いの起こりがちな時刻の意味から、夕方の薄暗い時。たそがれどき。
▽ 子供の頃は、空が黄昏てくると無性に寂しさを覚えたことを想いだします。
それなのに、今では朝よりも夕暮れ時に愛着を感じるのです。皆さんはいかがですか。
今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。
石田眞人でした