第五十三号 雄弁は銀…
皆さんは「雄弁は銀、沈黙は金」という諺を聞いたことはありませんか。これは、英国の思想家、カーライルの「衣装哲学(いしょうてつがく)」にある言葉で『雄弁は大事だが、沈黙すべきときを心得ていることはもっと大事だということ』という意味だそうです。
日本にも『百聞は一見に如かず』という諺がありますが、広い意味ではこのふたつの諺は、多少重なるところがあるように思えます。ちょっとだけ視野を広げてみると、これらの諺は、まるで自然界そのものだと想いませんか。
この大宇宙は多くの自然現象を通して、雄弁に語ってくれることがあるかと思えば、静かに見守ってくれることも多くあります。私はそんな自然界から、沢山のことを教えてもらっているように感じます。
私は、今でこそおしゃべりを自認していますが、まだ社会に出た頃は他人と話をすることは苦手でした。その頃は、今日出会う方に伝えなければならないことを、頭の中で何回も反芻してから実際にお話ししていました。
そんなこんなで、その頃には雄弁な方たちに憧れを持っていましたが、いつの頃からか間(ま)を考え、気にするようにもなってきました。
初めの詩は、関東平野の広大さや、雪国とは違った冬の厳しさや楽しさを書いてみました。
私が生まれたのは群馬の中央部です。そこは、三方(東、西、北)を山が囲み、南は関東平野が広がると言う、日本の中でも特殊な環境でした。
それが、埼玉県に住んでから気付いたのですが、関東平野とは、いかに広大であるかということです。私の住む行田周辺は、驚くほど坂は少なく、風は縦横無尽に吹くということに気付いたのでした。
やはり、その土地土地の気候や食生活など、言葉で説明されただけでは理解できないこともありますよね。
では読んでください。

〈冴え冴えと〉

気高いほどに屹立した
三国山脈から
雪の便りが届くころ
虫の音は消え失せて
夜空を飾る星々は
冴冴として輝きは増し
山里を包む風は
凛凛と張り詰める
・・・・
坂東太郎の流れに
空っ風が渡る頃
関東平野の展望は一変し
東方には筑波山
北方には赤城山に浅間山
西方には富士の山が
見事なパノラマを展開すし
心楽しくする
・・・・
目に映る
輝く空間は
目を失くした私の目にさえも
空の青さが光り
赤城山から吹き下ろす
凍りのような風さえも
私の心を
優しくしてくれる

※ 冴え冴え(さえざえ):澄んではっきりしているさま。また、さわやかなさま。冬の寒さが透き通って身にしみるように感じるさま。

▽ 皆さんは、何処で生まれ、どんな環境で育ちましたか。
私の生まれた群馬県子持村(現渋川市)は東には赤城山、西には榛名山、北には子持山が聳え立っていて、赤城山の東のふもとを、北から南へ流れる利根川があり、南には西(草津方面)から東(利根川に合流)へ流れる吾妻川(あがつまがわ)があります。
私の家族は、祖父母、父母、私と弟と言う、昔ではごくごく普通の家族構成でした。
私は長男であり、いとこの中でも一番年上だったということもあり、弟だけではなくいとこの世話もさせられました。
私が小学の頃の子持村は養蚕が盛んで、畑のほとんどは桑畑でした。その桑の木に実る、桑の実(私たちは、どどめと呼んでいました)が甘くていつも取って食べていたことを覚えています。
次の詩は、私自身の今日まで歩んできた人生を、最大限美化して作ってみました。
皆さんにも重なるところがあるのではないでしょうか。どうぞ読んでください。

〈今思えば〉

振り返って
今思えば
あの夏の日の
嵐のような日々は
私の人生の根底で
今この時の歩みを
祝福してくれているように
思えてならない
・・・・
振り返って
今思えば
あの秋の日の
長雨のように
鬱陶しいあの人との出会いは
愛する大切さを
教えてくれていたように
思えてならない
・・・・
振り返って
今思えば
あの冬の日の
闇然とした夜闇のような
陰陰滅滅とした失明宣告は
私に多くの贈り物を
届けてくれたように
思えてならない
・・・・
振り返って
今思えば
あの春の日の
燦燦とした陽光は
一期一会の温もりのように
冷え切った私の心身を
柔らかく包んでいてくれたように
思えてならない
・・・・
今日この日までの
一歩一歩の足跡(そくせき)を
振り返って
思い返してみれば
今更ながら
すべては愛だったと
言い切れると
思えてならない

※ 陰陰滅滅(いんいんめつめつ):気分が暗く、気の滅入(めいる)さま。また、暗く陰気で物さびしいさま。気分や雰囲気にいう。

▽ ひとことで愛と言っても、その中には様々な感情・語りつくせない出来事・本人にしか理解できない内容が含まれているのではないでしょうか。
そんな中で、ここで言うところの愛とは、唯々すべての出来事は私にとってなくてはならない出来事だったという意味で使わせていただきました。
以前私が読んだ本には、「愛とは…見返りを求めない」と書いてあったことを思い出します。言葉を変えると、『親の愛(親が子供を無条件で愛する愛)、または祖父母の愛(祖父母が孫を無条件で愛する愛)』が良い例のようです。
自分自身でさえ、愛についてよく理解できていないのに偉そうなことを書いてしまいました。どうかお許しください。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
石田眞人でした