第四十九号 心を掃除
いきなりですが「人を呪わば穴二つ」という諺を聞いたことはないでしょうか。
『呪い』とは、恨みや嫉妬が高じて、心に湧いてくるものだと私は感じます。私は、この諺を時折思い出しては、自身の心を掃除したりしています。
穴とは、墓穴のことを言います。『人を呪うと墓穴を二つ掘ることになる』ということから『人を呪うとその呪いは、結局自分自身に返ってくる』という意味のようです。
このことは、人生を生き抜いて行くうえでの、方程式のようなものではないかと思うのです。
そこで、私の苦悶が始まるのです。苦悶と簡単に言えるほど生易しいものではなく、悶絶という響きが適当なほど、私の心は乱れに乱れるのです。それは、親鸞の教えにも共通するのですが、聖書にも書かれていることなのです。親鸞は『愛とゆるしは善悪を超える』。聖書では『あなたも沢山許されているように、人を許しなさい』という教えが、あの嫌いな人も…あの大嫌いなあの人の言動さえも許しなさいと、私の心に叫ぶのです。
始めの詩は、そんな心の中を覗いてみたものです。どうぞ御笑覧ください。

〈真実の愛を求めて〉

耐えがたきを耐え
忍びがたきを忍び
恩讐を恩讐視せず
やがて愛して行く
それができたなら幸せを掴めるに違いない
・・・・
この世の中で一番苦しいのは
最も身近な人を愛せないこと
人を憎んでしまうこと
憎むことで
一歩も前に進めなくなること
・・・・
愛すれば愛される
憎めば憎まれる
そんなことは当たり前
真の愛はすべてを包み
見せかけの愛はすべてを遠ざける
・・・・
人生は愛する修行
辛さを噛み潰し
悲しにを睨みつけ
悔しさを踏みつけて
まずは一歩足を踏み出してみよう
・・・・
耐えがたきを耐え
忍びがたきを忍び
恩讐を恩讐視せず
やがて愛して行く
それができたなら幸せを掴めるに違いない
・・・・
耐えることから始めてみよう
恩讐を許し
憎しみを愛することができるまで
今の自分は過去の蓄積であるのだから
未来を夢見て

※ 「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」この言葉は、1945年8月15日の玉音放送の言葉を拝借しました。
▽ 皆さんは、どうしても好きになれない人はいませんか。所謂「虫が好かない、あるいは馬が合わない(反りが合わない)」という人は誰にでもいた経験があるのではないでしょうか。はっきり言えば『嫌いな人』のことです。こんな人が身近に存在することほど苦しいことはありません。
例えば、そんな人が赤の他人であれば、縁を切ることで苦しみは和らぎますが、一緒に仕事をしている人、同じ町内でいつも顔を合わせる人、もっと大変なのは、そんな人が同じ家で暮らしていることほどつらく苦しいのです。なさに私は、そんな経験をしました。そんな経験から、結局人を憎むことは、自分自身を苦しめる結果になることを知りました。
そうして、憎むより許した方が良い、一歩進んで愛することで、自分自身が、阿鼻驚嘆な蟻地獄から抜け出せることに気づいたのでした。
次の詩は、身近なことで悩んでいる時に、ふと視線を変えて、美しい自然界や、広大な宇宙を想い描いてみたものです。自然界の力は計り知れませんね。私は、幾度となく、自然界から勇気をもらいました。どうぞ読んでください。

〈雨上がり〉

秋雨に濡れそぼつ
昂然たる山川草木を
凛凛と照らし出す
上弦の月と
瞬く星が
瞑想する僕を
今宵限りの
静寂の世界へいざなう
幾星霜も
命を繋ぎ続けた
厳然とした大自然からは
深深と深まる宵闇と
浩然の気が溢れ出す
すると僕の全身は
清らかな力に満たされ
障害のことを悩み続ける
ちっぽけな僕の心にも
生気が湧いてくる

※ 凛凛(りんりん):1、寒気がきびしく身にしみるさま。2、勇ましいさま。りりしいさま。また、心のひきしまるさま。
昂然(こうぜん):意気の盛んなさま。自信に満ちて誇らしげなさま。
浩然の気(こうぜんのき):天地にみなぎっている、万物の生命力や活力の源となる気。また物事にとらわれない、おおらかな心持ち。
▽ 家康の言葉を借りれば、人は誰でも、重い荷を背負いながら長い坂道を登って行くのですね。生きていれば、苦しみ悲しみは付き物ですよね。それだからこそ、小さくて当たり前のことが、大きな喜びになるのだと思います。それでもやはり、自分の人生は自分の目で最後まで見届けたいと思うのです。なぜなら、笑顔で、亡くなっていった友や、家族と再会したいからです。
もちろん、私の考えに反論したい方も大勢いらっしゃることと思います。一方的に、私の人生観を書いてしまいましたが、ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。これに懲りずに、これからもよろしくお願いします。
石田眞人でした

朝は、だいぶ涼しくなってきました。