第四十六号 虹の彼方
以前から、電子レンジで温めることを「チンする」と当たり前に言っていますが、いつの頃からか電子レンジの音は、「チン」から「ピーピーピー」という電子音に代わっていたことにお気づきでしょうか?!恥ずかしながら私は、ニュースで読むまでは気付かずに何の疑問も抱かずに、「チンして」などと言っていました。皆さんはいかがでしょうか。
このことでは、私自身がいかに注意力が散漫だったかを露呈してしまいました。皆さんも似た経験をした記憶はないでしょうか。
先日、テレビの野球中継で、元ヤクルトスワローズの名内野手だった宮本さんが、野球少年の質問に答えて「名内野手になりたければ、沢山の試合を見て、状況判断力を付けることが必要です」と言っていました。この話を聞いて、ひとつのことを極めた人の観察眼は一味違うと感心しました。宮本さんの話は一つの例ですが、スポーツ界だけではなく、私たちの人生にも関係することではないでしょうか。
最初の詩は、国リハ(こくりは:国立障害者リハビリテーションセンター)で学んでた頃のことです。気持ちや頭が疲れて集中できなくなり、一息つきたくなった時には、グラウンドに出て、風と遊んでみたくなったものでした。そんなある日の心の動きを書いてみました。どうぞ読んでください。
〈画竜点睛を欠く〉
『君はどんな人生を歩んできたのか』と
過去の自分に問いかけてみた
沸々と噴き出す汗を
手の甲で拭いながら
『画竜点睛を欠いてしまった人生だな』と
現在の自分は答えた
今日まで重ねた光と陰は
悲しくもあり
寂しくもあり
嬉しくもあり
楽しくもある
・・・・
燦燦と照っている
真夏の太陽は
みんみん蝉を元気にして
全身から噴き出す汗に
温んだ風はまとわりつく
遠近(おちこち)から聞こえてくる
さんざめく子供たちの声に
勇気と未来を想う
左手で探り探りして
木蔭のベンチに座り僕は
白杖をたたみほっとする
・・・・
小さな雲を遊ばせる蒼穹に
轟音を撒き散らして軍用ジェット機は西へ飛び去る
囂々たる騒音に
心に潜む荒々しさが悠然と目を開け
遠近を行く自由気ままな心に問いかける
『自信を持ってやり遂げたと言えるものはなんだい』と
指折り数えようとしてハタッ!と指が止まる
『まさか何もない』
そんな玉響な空間に背中を冷りと汗がつたわり流れ
自身で自分に言い聞かせる
『まだ人生終わったわけではない』と
その一刹那
ポッと心に火が灯る
『そうだ僕の見えない目で僕の人生を見届けよう』
『最後まで行けるところまで行ってみよう』
どうやら僕は今まで人生を逍遥しすぎたようだ
※逍遥(しょうよう):気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩。
遠近(おちこち):最初の遠近は平面的な意味で、遠く近くという意味で使い、二回目の遠近は立体的な意味で、過去から現在いという意味で使いました。
▽ 一般的には知られていませんが、白杖(はくじょう)にも、色々な種類があります。
私が持っている白杖は一番多く使われているもので、六分割して折りたためるものです。ほかに、五分割の白杖もあるようです。
このように分割できる白杖は、主に路面の安全を確認する用途で使われる白杖です。身体を支えることが主目的な白杖は折りたたむことはできず、一本の杖になっています。
また、弱視の方たちは、ある程度目で安全確認ができることから、白杖を用いて路面の危険物を見つける必要がないために、細く短く軽い白杖を手でぶら下げて歩きます。弱視の方たちが白杖を持つ目的は、主に障害のあることを周知するために持つのです。
因みに、今では座頭市が持っていたような、仕込み杖はありません。
次の詩は「画竜点睛を欠く」の後編のような詩です。それは、偶然そうなってしまったのですが、見えなくなってから、自分自心と向き合う時間が多くなりました。
この詩も、気持ちを整理するために作ってみたものです。どうぞ読んでください。
〈振り返ってみれば〉
~over the rainbow~
家康はこう云い残した
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
俺はただ
祈りの言葉を胸に抱き
今日まで歩いてきた
毎日を必死に繋ぎ合わせて
今日もまた
朝を迎えることができた
必死な祈りを
胸に温めて
歯を食いしばり
想い足を引きずって
これからも生きて行く
・・・・
桂小金治はこんなことを云った
「努力までなら誰でもできる
努力の上に辛抱と言う棒を立てろ
その棒に花が咲く」
俺は努力をしてきた…つもりだ
ただ辛抱を立てることはできなかった
後ろばかり見ていると
後悔で心がつぶされそうだ
これからでも遅くない
辛抱を立てて
努力という名の水をやり
花を咲かせよう
清かな花を
・・・・
本田宗一郎はこんなことを云った
「飛行機は飛び立つ時より着地が難しい
人生も同じだよ」
俺は必死で
春秋を重ねてきた
時には立ち止まりもした
振り返って見れば霞んでしまうほど
長い道のりを歩んできた
前を見れば夕焼けが鮮やかだ
これからは祈りの言葉を抱きしめて
残された道程を
思い切り歩き
行けるところまで行ってみよう
・・・・
そこには誰が待っているのか
何があるのか
何もないのか
行ってみなければわからない
メランコリーは
過去に置き去って
僅かな希望は
ポケットに詰め込んで
行雲流水を胸に秘め
重い荷物は背に
さあ燃えるような夕焼けに向かい
行ってみよう
虹の彼方まで
▽ 皆さんは、胸を張って「これだけは最後までやり遂げることができた」と言えるものはありますか。恥ずかしながら、私にはありません。それだからこそ、親や先祖からもらった人生だけは、自分自身で最後まで成し遂げたいと思うのです。
今回もありがとうございました。
石田眞人でした