第四十二号 春宵一刻値千金
『なんと大洋の美しいことよ!なんと大空の澄んでいることか!点のような太陽!何事が起ころうと、この瞬間生きていることでたくさんだ。』
これは、チャールズ・リンドバーグ(1927年、大西洋単独無着陸飛行を成し遂げたアメリカ人)が言った言葉です。
何か一つのことを成し遂げると、同じ世界を生きていても見え方が変わってくるのでしょうか?同じ自然を見ていても、その時の気持ちの違いで、見える世界が変わるのかもしれません。
私は目を失くしてから、見えているころと比べて、物事の感じ方・見え方は明らかに変化しました。今の私の行動範囲は、見えている頃よりもだいぶ狭くなりましたが、それでも毎日、数人の人たちとの出会いと別れを繰り返しています。そんな少ない人たちの、一挙一動に、私の心は揺れ動いています。そんな心の動きのふれ幅は、大きく広くなったように思います。
最初の詩は、新緑の季節に吹く風をテーマにしてみました。
目を失くしてから、やたらとお天気が気になるようになりました。山川草木、花鳥風
月などから流れ出す、息吹を全身で受け止め、皮膚や耳や鼻などで感じられる、感覚が嬉しくてなりません。少しだけ季節は、春から初夏へと移ろいましたが、まさに春宵一刻値千金ですね。そして、こんなにも、太陽や風や鼻や森が私の心を清めてくれるのかと、目を失くしてから心に感じられるようになったのです。そうして、自然界から大きなパワーをいただいていることに気付かされました。
では、どうぞ読んでください。
※ 春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん):中国の漢詩の一部。花は香り、月はおぼろな春の夜のひと時は、まことに趣が深く、千金にも換えがたい。

〈5月の風〉

光りに滲む青い空
白さ際立つ真綿雲
川辺を渡る清かな風
新緑薫若緑な森
里山を逍遥しながら私は
七色な虹を心に頂き
鬱屈した心も清められ
心身は燦然として煌めき
初夏の太陽を全身で受け止め
吹き抜ける風は清涼として
小鳥の囀りを運び
大地の香りに勇気を貰い
昂然として胸を張り
そこはかとなく歩く
五月の風に魅せられて

※昂然(こうぜん):意気の盛んなさま。自信に満ちて誇らしげなさま。

▽ 皆さんの好きな季節はなんでしょうか?
私は5月になると、岩手から新幹線と在来線とバスを乗り継いで、初めて塩原センターへ行った日のことを思いだします。標高の高い塩原は、当時私が住んでいた平泉の季節と似ていました。私が塩原センターへたどり着くと、そこでは満開の八重桜が迎えてくれました。その日は、5月の連休の終わりでした。
話は変わりますが、『習い性(ならいせい)』という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。これは『習いは性となる』という言葉から来たようです。意味は『習慣は、続けるうちにその人の生来の性(生まれつきの性質)であるかのように身につくものだ』ということです。当然、良い習慣は、良い未来を約束してくれるものですが、悪い習慣は、悪い未来へいざなうことでしょう。
私を例にとると、暴飲暴食という悪い習慣が、糖尿病への道へとたどり着いたのでした。
そんなことを考えると、悪い習慣はひとつでも減らし、良い習慣だけを続けて行きたいものですね。
次の詩は、私の心の中を書いてみました。「いつも立派なことを書いているのに、石田眞人はこの程度かい」と、御笑覧ください。

〈幸せ〉

求めてばかりいると
嫉妬や妬みや
不平不満が
心から湧き出して
吊り上がった眼は
混濁し
鼻孔は
大きく広がって
口は
への字に折れ曲がり
心が
顔に現れて
真の喜びを
知ることはない
・・・・
与える喜びを知れば
穏やかな気持ちで
心が清らかになり
目は優しく
光を放ち
耳はあなたの本音を
聴くことができ
口はニコニコマークで
笑顔が満開になり
心は
温かさに包まれ
最高の人生に
出会うことができる
と確信する

▽ 私は時折思うのですが、せめて中学生の頃から、今の経験値があったならどんなにか幸せな人生を送ることができるだろうと…です。
しかし、それははかない夢ですよね。
今回も、読んでくださりありがとうございました。
石田眞人でした