第四十一号 夢か現か…
今も昔も変わらず孤独死のニュースはテレビから流れてきます。
ところで、皆さんは『孤独』の意味をご存じでしょうか?こんなことを書くと「そのくらい知ってるよ!!」と、叱責されそうですね。しかし、実際に、真実な孤独を経験している人はどのくらいいるでしょうか?私自身を考えた時に、多分『孤独』の本当の意味はまだ知らないと感じます。それは、きっと幸せなことなのでしょうね。
一昔前には『孤独に耐えかねて自殺』というテレビ報道をよく見られました。皆さんの近くに、とっかえひっかえ沢山の女性とお付き合いしている男性や、その度に違う男性に寄り添っている女性はいませんか。私の思うに、そんな人は、極端に孤独を怖がる人ではないかと感じます。私はいつも「ドライブはひとりがいい」「昔から映画はひとりで見たいと思っている」と言ってきました。実際に、言葉通りにしてきましたし、まだ東京ドームになる前の、後楽園球場には、巨人戦の観戦のために、ひとりで頻繁に足を運び、声がかれるまで応援していました。それは、きっと本当の孤独を経験したことがない故に言えることであり、できたことだと思うのです。
第三十九号」で西村京太郎さんの四つの終止符を紹介しましたが、音のない世界ほど孤独に陥りやすいのではないでしょうか。私は、本当の意味での音のない世界は理解できませんが、隣の人に心を向けて、隣の人を理解しようとする努力こそが、大切ではないかと感じます。
初めの詩は、私自身の生きざまを題材にして、反省を込めて作ってみました。
小学生当時は悪気はなく、思ったことを考えもせずに、ストレートに言葉にしていたこともありました。振り返ってみると、そんなストレートさが、隣の席の女の子を傷つけていたのではないかと反省しています。
どうぞ御笑覧ください。
〈生きるということ〉
生きていれば
大きな池を造るほど
汗を流すこともあり
生きていれば
畳から茸が生えてくるほど
涙を流すこともあり
生きていれば
夢か現か混濁するほど
心が踏み潰されることもある
終焉を向かえるまで
人生を走りぬく為には
病気もするし
怪我もするし
喧嘩もする
そうして
血を流すこともある
生きていれば
沢山の人達から
山ほど
お世話になることもあり
生きていれば
無意識とはいえ
赤の他人を傷つけ
谷底へ落とすことさえある
人生の終わりに
生まれてから今日までを
十把一絡げにすると
笑みこぼれるほどに
心が躍る
そんな
生き方をしたい
▽ 再度、四つの終止符に触れますが、その小説の中に、聾者は言葉を話せないのではないかと思い違いをして、聾者に話しかける人はほとんどいない。そのために、耳の聞こえない人たちは孤独に落ちてしまうケースが多い、とあります。
そんなこともあり、聾学校の児童は、大きな夢は持たずに、人並みに仕事をして、人並みの生活がしたいと望む子たちが多いようです。
大きく気分を変えて、次の詩は5月を楽しんで書いてみました。岩手では、4月から5月にかけて、花が一斉に咲きます。桜やチューリップなども咲き、隣の庭からは花の香りが5月の風に運ばれ匂ってきます。
目が見えなくなってから、見えているときには感じられなかった風や、いろいろな香りを楽しめるようになりました。そんなことを思うと、まさに塞翁が馬ですね。何が幸せで何が不幸なのかは、人知では測れないものですね。
どうぞ読んでみてください。
〈奥州の花〉
北の春は心楽し
ひっそり咲いた桜の花は
僕に愛する力をくれる
薫りを運ぶそよ風は
君を想う僕の心を
映し出す
きらきら煌めく蒼穹は
君の笑顔を写しだし
僕の心は愛しさに溢れる
北上川のせせらぎは
君の口元から迸る
優しい声のようで
僕のハートは魅せられる
北の春の優しさは
君も僕も包んでくれる
北の夏の激しさは
僕の心を満たしてくれる
▽ 5月という響きには、そこはかとなく爽やかな活気を感じませんか。
私事ですが、最近、私が若かりしころ出会った人たちの夢をよく見ます。それは、小学校の同級生だったり、昔の職場の同僚や上司だったりします。先日は、私がまだ20代半ばの頃お世話になった東京の墨田区に住む二人の大先輩の夢を見ました。
ひとりは当時70代の自営業の男性で、時々夕食をご馳走になっていました。もう一人は、80代の男性ですが、若いころ、時事通信の記者をやっていた方で、その人の話が楽しくて、私が行くと喜んでくださることを良いことに、ちょくちょくその人の家を訪問していました。 その二人が良く晴れた空の下で肩を並べ、ニコニコ笑って私に手を振っている夢でした。そんな夢を見るようになった私は、いよいよお迎えの来る日が近いのかしら?と思ってしまいます。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
石田眞人でした