以前読んだ有栖川有栖(アリスガワアリス:推理小説を中心に執筆している作家)さんの小説の中に「悪とは何ぞや」という、問答がありました。
私は、自らの経験と自分自身の心の中を見渡して想うのですが『自分さえ良ければそれで良い』という、自分勝手極まる考えが、悪の根源だと感じます。これは私の乏しい経験知から導き出した答えですからご容赦ください。
皆さんも、まだ記憶に新しいことと思いますが、埼玉県で散弾銃を持って立てこもった男が、母親の往診をしてくれていた主治医を撃ち殺した事件がありました。その男の言い分は、自分の思うような治療をしてくれなかったという、勝手極まる言い分でした。確か事件を起こした男は、66歳の分別盛りだったと記憶しています。
話は変わりますが、皆さんの中にも『雨あがる』という映画をご覧になった方もいらっしゃることでしょう。その映画の中に「大切なのは何をやったかではなく、何のためにやったかです」と言う台詞がありますが、これを聞いた刹那、私は大きく頷いていました。この言葉に慰められたと同時に、自分自身に対する戒めの言葉にした次第です。
この映画は、視力が落ち始めた頃に見た映画ですが、感動するほど映像が美しかったことを覚えています。
その映画の美しい映像に負けないくらい感動した夢を、まだ見えなくなったばかりの頃に見ました。
初めの詩は、その夢を書いたものです。映像を、言葉にすることはとても難しく、うまく言葉で表現できていませんが、どうぞ読んでください。
〈桜花爛漫〉
冬を歩いている
無機質で色のない冬を
細く緩やかな上り坂を
踏みしめ踏みしめ
ゆっくりとゆっくりと
左右には
まだ眠りから覚めない桜の並木は
南北に延びて
山の向こうの
曇り空まで続いている
西側にある土手は
茶褐色色した大地が
むき出しになっている
見上げると
白く鈍く光る空が
憂鬱を誘う…
心にまとわりつく風も
妙に胸をかき乱す
凍り付いて重たいハートを
引きずりながら
前かがみになって
上り坂を進む
ぐうっと腰を伸ばし
ぼんやりと見上げると
細く曲がりくねった道の
遥か彼方の桜並木の
薄紅色した小さな花が
恥ずかしそうな顔をして
澄みきった空を染めている?!
ような気がした…
右手の甲で目をこすり
真上を見つめると
可愛い花芽がちょっぴり膨らみ
ほんの瞬きする一刹那
枯れていた並木道は
燦燦と降り注ぐ光に励まされ
満開に開いた桜並木に
早変わり
まるで花坂爺さんが
山風に吹かれてやって来て
「枯れ木に花を咲かせましょう」と言わんばかりに
茶色な木々は色づいた
ふと気付けば
いつの間にか
鈍くくすんだ空の色も
スカイブルーに衣替え
土手に横たう枯草は
緑な色を昂然と湛え
春を装い
歓喜の舞に酔いしれる
・・・・
春を歩いた
パワーに満ち満ちた
天然色な春を
大地は活動を開始し
草木は芽吹き
命に溢れている
のびのびと羽を広げた
小鳥たちは
気持ち良さげに
空の青さを泳いでいる
笑顔を向けて
太陽は
南の空を穏やかに歩く
満開な
無始無終な桜並木を
一歩そしてまた一歩と
歩いて見た
気が付くと
10tトラックに
満載された荷物以上に
重たかった心は
青よりも青い色した
宇宙の海に浮かぶ
大きな気球のように
ふあっと軽くなり
山頂の向こうの
蒼穹まで続く
桜並木を
謳歌している
それは丸で
終わりのない苦しみなど
ないことを
教えてくれているようだ
・・・・
春を歩いた
夢と希望に
彩られた春を
大股で大地を蹴って
歩いていた
凍える程の寒さを
耐えた者だけに
与えられる
喜びの春を
踏みしめて歩いていた
その時
一粒の涙が
目から こぼれ落ちた
…そんな夢を見た
※桜花爛漫(おうからんまん):満開の桜の花が、みごとに咲き乱れているさま。また非常に明るく華やかなさま。
無始無終(むしむしゅう):始まりも終わりもないこと。
▽ 私事ですが、今年の二月に満開に咲いた桜の夢を見ました。桜の夢は十年ぶりでした。目を失った当初は、何度も見た満開な桜の夢に、くじけそうな心が支えられたのでした。
話は変わりますが、島崎藤村の小説『夜明け前』の冒頭に「木曽路はすべて山の中である」とありますが、この短い一説を読んだ瞬間、鬱蒼と茂る森の中を伸びた一本の道が頭に浮かびます。また、川端康成の『雪国』の書き出しには「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」という一文もまた、美しい映像が瞼に浮かびます。それらは、まるで一幅の絵画のようです。
冒頭の『国境』を『県境』とはせずに、あえて『国境』としたことで『雪国』という言葉が生きてくるように想います。
私には、どう逆立ちしても、そんな文章は書けません。
次の詩は、遊び心たっぷりに作ってみました。きっと、慣れない医学関係の勉強もようやく一年が終了した安心から、こんな詩になったと思います。
この中に書いたルームメイトは、弱視でまだ若い男の子だった気安さも手伝って、休みの日を利用して、彼方此方と遊び歩きました。私は無事鍼灸が叶ったのですが、そのルームメイトは、私にいつも付き合わされたためか、もう一度一年生をやるはめになりました。今更ですが、そのルームメイトに、この場をお借りしてお詫びしたいと思います。
どうぞ読んでみてください。
〈弥生月の引っ越し〉
いよいよ
住み慣れた部屋からの
引っ越しです
一年間
寝食を共にした
ルームメイトとお別れです
特別に
仲良しだったわけでもなく
どうしても
この部屋でなければいやだと言うわけでもないし
別に
ここに愛着があるわけでもないのに
寂しいのです
何か空しいのです
どうしてなのか
離れがたいのです
なぜかやる気が出ないのです
心に力が入らないのです
それは私が怠け者だからでしょうか
めんどくさがり屋だからなのかな
それとも
弥生三月と言う言葉の持つ
そこはかとなく
愁いを含んだ
響きのためなのか
もう引っ越しは
すぐそこに迫っているのに
なにも手付かずのままなのです
・・・・
いよいよ
明日引っ越しです
まだ何も
まとめていません
気持ちばかりが
焦りまくって
考えが空回りして
心もついていけず
空しさに占領されています
さあやるぞとばかり
気合を入れて
立ち上がりまた座り
寝転んでは立ち上がりするのですが
まだ何も
まとめていないのです
やっぱり私は
怠慢なのだ
きっとそうに違いない
それとも
弥生三月と言う言葉の持つ
そこはかとなく
愁いを含んだ響きのためなのか
もう引っ越しは
すぐそこに迫っているのに
なにも手付かずのままなのです
・・・・
いよいよ
一階の104号室から
三階の305号室への引っ越しです…
たったそれだけの
引っ越しなのに
ちょっぴり大袈裟に
書きすぎてしまいました
どこか違う国までの
引っ越しのように
大袈裟に書きすぎましたね
さあ ちょこっと
済ませるぞ
これから ささっと
やっつけちゃいます
▽ 皆さんも、一度は引っ越しを経験されていることでしょう。荷物 をまとめて移動させるということは、意外に面倒なものですよね。例年なら、一つ進級するごとに一階ずつ上の階に移るのですが、私たちの先輩、つまり今度三年生になる人達から、上に引っ越すことは面倒だという申し出があり、先輩たちは二階のままもう一年過ごし、二年に進級する私たちが三階へ移ることになったのでした。私たちにしても、三年になるときにまた引越しをするよりも、一気に三階へ移ったほうが良いという意見が多く、このような結果になったのでした。
この詩を読むと、そんなことを思いだしてしまいます。
ちなみに、四階は禁断の女子寮だったので、男性諸君は四階へ行きたくても行けませんでした。ところが、私に限っては、寮長という役得で、女子寮の会議の時に、何度か足を踏み入れることを許されたのでした。但し先生には内緒でです。
許されたと言ってもただ単に、女性たちから乞われて参加しただけなのでした。好意的に考えれば、話し合いをまとめてほしいということだと思うのですが、一方では当時50代半ばの私は、異性として見られていなかったのかしら?と、しょげたりもします。
今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。
石田眞人でした