今年、一月下旬の寒い朝、ショッキングなニュースと遭遇しました。
活字を見ることができない私は、新聞の代わりに、パソコンのヤフーニュースを読んでいます(聞いています)。そのニュースのひとつに『57歳の兄が、知的障害を持つ56歳の弟を殺し自殺…』という記事がありました。初め私は、施設のお世話になれなかったのかなと、単純に考えてしまいました。しかし、読み進むにつれ、そんな単純なものではないことを思い知らされるのでした。なぜなら、重い知的障害を持ち、他人と接することが大の苦手な弟さんは、毎日「僕を施設に入れないで!」と訴え続けていたそうです。私はこれを読んで、介護の問題の難しさを思い知らされました。
また、それから数日後には『無戸籍問題』を取り上げたニュースがありました。それは、無戸籍の人たちを救援するために、民法を改正する動きがあるという記事でした。戸籍を持たないということは、この世の中に存在しないということと等しいと私は想います。
そこで皆さんに、「自分自身について考えてみてはどうか」と、次のことを問いかけてみたい、と思いました。それは、自分自身は唯一無二の存在であると、考えてみたことはあるかということです。私たちが住む、この広い宇宙の中のひとつしかない地球に、私たちは生まれました。肉体的には同じ構造をしていますが、その実、同じ人は一人としていません。
そんな唯一無二の自分をどんな風に作り上げるかは、自分の責任ではないでしょうか。
江戸時代の儒者、貝原益軒(かいばらえきけん)は、次のようなことを本に書いています。
「人、生まれて学ばざれば生まれざるに同じ。学んで道を知らざれば学ばざるに同じ。知って行わざれば知らざるに同じ。」
ちょっぴり心の弱っていた私は、これを読んですっかり心が萎えてしまいました。
しかし、前向きになった私は、受け止め方が全く変わってきたのでした。ゴダイゴというグループに♪ビューティフルネーム♪という歌があります。私はこの歌が大好きです。その歌の歌詞にあるように、私の名前は世界でただ一つなのです。
だから何?と言われると答えられませんが、まずは自身のことを知ることは大切なのではないでしょうか。
余談ですが、ルパン三世というコミックの登場人物に『不二子ちゃん』という名の、男心をそそるような女性がいます。また、昔の仲間に『不二男(フジオ)』という名前の男性がいました。まさにこの男性は二人といません。
話を戻しますが、今この瞬間も、一生涯で一度きりだと思うと、今年の一回きりの春も、しっかりと楽しみたいと思うのです。
初めの詩は、国リハ時代での春の訪れを書いてみたものです。その年は、寒さも厳しく、春がなかなか来なかったのでした。どうぞ読んでみてください。

〈春の訪れ〉

今朝の太陽は元気です
その光に誘われて
洗濯物をベランダに干しました
柔らかな光に包まれた
洗濯したばかりの白いシャツが
嬉しそうに
肩を右に左に 揺らしています
・・・・
いま冬と春が
おしくらマンジュウをしているのです
押したり押されたり
今年の冬は力が強くて
春が押され気味です
押して押して
春が来たかと思ったら
ググッと冬に押し返されてしまいます
・・・・
今朝の光はほんわか暖かです
そのほんわかさに魅せられて
窓を大きく開けてみました
部屋に流れる風が
冷たく凍りついた心に
潤いを運んできました
溢れだす涙と共に
忘れかけていた優しさが
芽を出しかけています
・・・・
いま冬と春が
おしくらマンジュウをしているのです
押したり押されたり
今年の冬は力が強くて
春が押され気味です
押して押して
春が来たかと思ったら
ググッと冬に押し返されてしまいます
・・・・
今朝は時の流れが穏やかです
いつもは
時の流れのせせらぎに
心急かされ
一本の道を走り出すのに
今はゆったりと
行く道を探しています
心に夢が膨らみかけて
頬を俄に染めたのです
・・・・
いま冬と春が
おしくらマンジュウをしているのです
押したり押されたり
今年の冬は力が強くて
春が押され気味です
押して押して
春が来たかと思ったら
ググッと冬に押し返されてしまいます
それでも
終わらない冬はありません
ようやくここにも
春の息吹が聞こえてきました
春の光が
命を齎しています
また新しい
見たことも
出会ったこともない
春が優しさと 温もりを運んできました
そうしてまた一つ
心のアルバムが増えるのです
一期一会を刻みながら

▽ この年の春を、私の見えない目で見ると、まるで春と冬がおしくらまんじゅうをやっているように見えたのでした。皆さんは、子供の頃に『おしくらまんじゅう』という遊びをやったことはありますか?「それなに?」と言った方もいらっしゃることでしょう。
話は変わりますが、人の心というものは、その日のお天気や季節の移ろいに呼応して大きく変化するものですね。もちろん、個性はありますが…、そんなことを考えると、心楽しくなりませんか。
心を澄ませば、ちょっとした環境の変化にも、新しい自分を見つけることができるかもしれませんね?!
新型コロナウイルス問題の真っ只中な今日、気持ちの上だけでも、楽しいことを考えたいものです。こんなことを書いた口の根も乾かないうちから、次の詩は、春の苦しみの素を書いてみました。どうぞ読んでみてください。

〈春の5K〉

春は
笑顔を思い出させてくれる
うきうきする
花は咲き
風は温み
鳥は唄い
虫たちは恋をし
舞い踊る
しかし
その背後には
過ぎ去ることを 待ちわびる人もいる
花粉
乾燥
寒暖
強風
黄砂
そんな五つの特徴に
苦しむ人たちがいて
悩まされている人たちもいる
そのことを
忘れてはならない
と己に言い聞かせる

▽ 私のすきな季節の筆頭は春です。それは、私が花粉症とは無縁だからです。
しかし、すでに今年も、花粉症に悩まされ始めた方もいることでしょう。
この『春の5K』という言い方は、「俳句を作ってみよう」という遊び心というか、心の迷いから見つけました。
春の季語をPCで検索しているときに、偶然見つけたのでした。私にとってのパソコンは、皆さんのスマホのような存在です。
私が、障害者の仲間入りをして思うのは、多くの人たちに助けられて、生きていられるということでした。
私はただ目が見えなくなっただけなので、人の力を借りながらも、仕事ができます。これはとても幸せなことです。
今回もお付き合いくださりありがとうございました。
石田眞人でした