第三十二号 天網恢恢…
師走も押し迫るにつれ、お忙しい日々をお過ごしのことでしょう。そんな、忙しく働いている手をつかのま休めて、ティーブレークを取ってみませんか。
あれは確か、十月の終わりころだったと思いますが、NHKのある番組の中で「若い頃を思い出すことで、脳は若返ります」と言っていました。そこで、令和三年が歴史の一ページになる前に、子供の頃の日を回想してみました。それは母との思い出です。
『私が小学一年の頃、隣の席の女の子のボールペンを、勝手に自宅に持ち帰ったことがありました。平たく言えば、盗んできてしまったのです。それを見咎めた母は、私を一喝し子供の私の手を引いて、まず小学校の職員室へ行き、担任教師の前で事の成り行きを説明し、平身低頭謝ったのです。それを見て子供の私は、二度と同じ過ちはしないと心に刻みました。
次には、女の子の家を訪ね、女の子と母親の前でボールペンを勝手に持ち帰ったことをお詫びし、ボールペンを返却し深々と頭を下げました。その時女の子は、本来の持ち主であるお兄さんに叱られ目を真っ赤にして泣いていたのでした。母は、帰宅の道すがら子供の私に言いました「母ちゃんも父ちゃんも、眞人に代わって牢屋に入ってやることはできないのだからな。それだから、自分の行いには覚悟して自分で責任を持たなければならないのだよ」』
テレビで昔放映していた『水戸黄門』ではありませんが、まさしく、天網恢恢疎にして漏らさずでした。 私の正義感は、そんな母の影響を強く受けた母由来の正義感だと自覚しています。但し、人と関わるうえでは正義感は絶対的なものではないことを教えられたこともここに付け加えておきます。
初めの詩は、冬を待ちわびる大地を、心身疲れ果ててしまい、休養を取りたいと願う、私自身と思いを重ねて描き作ってみました。私もそうですが、皆さんも数十年の人生の中には、喜怒哀楽そして春夏秋冬に相当する時期があったことでしょう。私の人生は、自身で思い描いていた歩みとはほど遠いものでした。
昔読んだ遠藤周作さんの本に「生活の挫折は、人生のプラス」と書いてありました。遠藤先生自身、何年もの長い歳月を病院で過ごした経験から導き出した言葉のようです。
どうか読んでみてください。

〈大地の囁き〉

霧雨は降り続く
静々と音も無く
冷たい雨が
三日三晩
心も身体も
骨髄の仲間でも
寒さが沁みて
身動き一つできない
玉響
大地に心を馳せてみた
すると
大地の声が
胸に響いて聴こえてくる
「一年働き続けてきたのだから
ひと休みするよ」と
気怠く野太い声は
哀哀と響き
僕の全身を震わせる
その刹那
僅かに開けた眼がしらから
たった一粒の涙が光る
その一粒が僕の胸を見たし
滝のように心から溢れかえる
僕は大地に口づける
そうしたいと言う衝動に
後先考えず
はだしのまま駆けだす
粛然と振り続く雨は
大地に潤いを与え
森の静けさを深くする
木枯らしに舞う木の葉は
大地を優しく包み
新しい命を齎すための
準備を開始する
やがて夜になり
厚い雲に隠れた星は
燦燦として子守歌を歌い
大地に眠りを促す
雲の切れ間からは
上の弓張が笑顔を向ける

▽ 鍼治療も、灸治療も、あんまマッサージ指圧も、基本は東洋医学です。東洋医学の基本は、東洋思想です。その東洋思想の基本は、『陰陽』です。
陰陽思想は「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」という解釈です。つまり陰と陽の間にも連続した繋がりがあるという考えです。シーソーを思い浮かべてみてください。もう一つ加えると、陰と陽はバランスが大切なのです。
そんな繋がりを、現代的に言えば「デジタルではなくアナログ」ということになります。時計で説明すると、1分1秒と数字を刻む時計はデジタルですね。長い針と短い針と秒針が、文字盤を回って時を刻む時計は、アナログですね。
そんな時計を想像してもらうと、理解しやすいのではないでしょうか。
具体的に話をすると、昼は陽であり…夕方は陽が極まって陰に移行する分岐点であり…そして夜は陰であり…やがて来る朝は陰が極まって陽に移行する分岐点であり…そしてまた陽である昼に移行する…一年はこの繰り返しになるという考え方です。この考え方を長期的に見直すと、徐々に夜が長くなり、やがて最も長い夜から、次には徐々に夜が短くなり始める冬至は、陰極まって陽になる分岐点であり…徐々に昼が長くなり、最も長い昼から夜が長くなり始める夏至は、陽極まって陰になる分岐点である…という考え方です。
次の詩は、そんな考え方を書いてみました。どうぞ読んでみてください。

〈一陽来復〉

『陰極まれば陽となり
陽極まれば陰となる』とは
東洋の思想である
まさに今
窓の外は夕に傾いている
そして間もなく夜が来る
今日は一年で一番夜の長い日であり
陰極まって陽に移行し始めるのである
・・・・
誰の力も借りることなく
ましてやコンピューター制御とは無縁に
自然の摂理の一部として
宇宙のパワーにより動いている
そこに大自然の偉大さを見る
もしも
宇宙の胸ふところに
飛び込むことができたなら
時の移ろいに
心を任せることができたなら
jet streamに乗り
世界を飛び回ろう
晴天乱気流の如き
心を捨て去り
赤富士を映す
水面に似た心を持ち
粛々と目を開ければ
涙も笑顔に変わるはず
・・・・
冬極まれば春に移行し
闇の続きには光が待っている
胸乱れれば静寂近し
静寂が訪れれば
暗く大きなトンネルから
力強い機関車が
囂々と
風を巻いて走り抜けてくる
太くて長い
一本杉を積んで
・・・・
求め続けよう
愛する人と
探し続けたい
この命暮れるまで
本当の愛を求めて
今日も彷徨う

※一陽来復(いちようらいふく):冬が終わり春が来ること。新年が来ること。また、悪いことが続いた後で幸運に向かうこと。

▽ これから書く話は、信じられないような話ですが、少しだけお付き合いください。
『40代後半の冬でした。つまり、急速に視力が落ち始めた頃の話です。
それは不思議な縁から始まりました。
突然義妹から電話をもらいました。義妹が言うには「人の背景を診てくれる人が仙台に来るので、診てもらおうと予約したのだけれど、用事ができて行けなくなったからお兄さんが診てもらってきて」と言うのです。
その頃私は、生きていることが辛くてたまらないほど悩んでいたので、重い腰を上げて行くことにしたのです。義妹の心遣いにも感謝して、妻の介助のもとにです。
あの時の私は、「自殺願望」というよりは、「希死念慮」があったと言ったほうが当たっていたと思います。わけもなく死にたいと思いながら毎日を過ごしていました。
そうして、仙台の会場に行くと、まもなく名前を呼ばれ、広い会場(数十名が入れるほど広い会議室だったと思います)の一番奥に、椅子に座った先生はいました。そこまで妻に介助してもらい、その方と長机を挟んで向かい合い、ふたりきりになりました。それから一~二時間くらい、先生のお話しを、質問を挟みながら聞いていたのでした。
先生は、非常に穏やかで優しい雰囲気を持った男性でした。
今でも覚えていることは、「長くて暗いトンネルから、大人一人では抱えきれないほど太く長い杉の木を積んだ機関車が、今まさに、トンネルから抜けようとしている様子が、あなたの背後で見えます」と言うのです。
私が、それはどんな意味を持っているのかと尋ねると、「今まであなたは、人生で一番暗く辛い日々を過ごしてきたようですが、今その真っ暗闇から抜け出そうとしているところです」と言われました。』
その方との空間は、ファンタスティックな時が流れており、半信半疑な感覚でした。
私はそれから間もなく、断腸の思いで障害を受け入れ、障害者手帳を貰ったのでした。
障害を受け入れてからは、驚くほど心は晴れ、前向きな気持ちになれたのです。そうして、今があるのでした。
それは一期一会でしたが、そんな出会いが人生を動かしているように思えたことは言うまでもありません。
つまらない話に付き合ってくださり、ありがとうございました。

※ 自殺願望と希死念慮(きしねんりょ)の違い:自殺願望と同義ともされるが、疾病・人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。
石田眞人でした