第二十三号 因縁果の法則
皆さんも、『その因果関係は』と言うように、『因果』と言う言葉を使ったことがあるのではありませんか。これは仏教用語だという事は自明のことと思います。
しかし、『因果』の『原因の因』と『結果の果』の間に『縁(えにし)』という文字が入ってこそ、正しいのだそうです。つまり、本来ならば『因縁果』と言うようです。このことを初めて聞く人は多いと思います。
『因果応報』と言う言葉の意味は『原因があって結果がある』という事だと考える人は多いと思いますが、本来は『原因があって、いろんな縁があって、結果がある』と言う捉え方が、正しい教えだったそうです。
もちろん『善い行いがあり→良い出会いがあり→良い結果がある』…これが一番良いのですが、次のようなことも考えられます。それは『善い行いがあり→悪い出会いがあり→悪い結果がある』そして『悪い行いがあり→良い出会いがあり→良い結果がある』もう一つは『悪い行いがあり→悪い出会いがあり→悪い結果がある』という事が考えられます。
このことを考えてみると、直接的に結果に影響を与えるのは「縁(えにし)」そして、次には「原因の因」だと感じます。
もしも、悪い種をまいてしまっても、良い縁を結ぶことで、もう一度良い種を蒔き直すこともできます。
「縁」を「出会い」と考えてみると、良い縁とは、良い出会いと入れ替えることができます。良い出会いを通して過去の行いを反省し、これからの生活をやり直すことで、未来は変わるのではないでしょうか。
以上のことは、まだ見えている頃、車を運転しながら、流れてきたラジオから教えられ、知ったことでした。
『結果』は天に委ねるしかないと思いますが、自分自身の意思でどうにでもなることは『原因と、縁(えにし)』ですが、このことは自分の責任において、取捨選択ができます。私の場合、この「縁()えにし」に、それはそれは恵まれたのでした。
始めの詩は、自分自ら悪い種を蒔いてしまい、その種から芽が出て、育ってゆき、花が咲き、実が実り、その結果苦しみもがいていた頃を書いたものです。
私の思い描く結果とは、二種類あります。一つは、人生の終焉を迎えるその瞬間のことであり、もう一つは、長い人生の中で何度となく訪れる、節目のことです。
「58歳になって」という詩は、人生最後を迎えるまでの苦しみを書いたものです。文字通り58歳の時に作りました。どうぞ読んでみてください。
〈58才になって〉
硬く強く歯を食いしばり生きてきた
それだから みんな歯が抜けてしまった
今では下に二本残っているだけ
その一本さえも
ぐらぐらし始めた
・・・・
歯を食いしばらなければ
前を見ていられなかったから
歯を食いしばらなければ
涙が止まらなかったから
歯を食いしばらなければ
立っていられなかったから
歯を食いしばらなければ
苦し荷に耐えられなかったから
歯を食いしばらなければ
心が押しつぶされそうだったから
歯を食いしばらなければ
生きて行かれなかったから
まだまだ死ぬわけにはいかないから
これからも生きてゆくために
ぐっとぐっと
歯を食いしばって生きてきた
そうして
いつの間にか
歯は無くなった
それと同時に
苦しみも減って行った
▽皆さんの歯は、何本残っていますか。
私は小学生時代に歯の手入れを怠ったが故に、若くして歯が抜け落ちたとも考えられます。
次のことは大人になって出会った歯科衛生士から教わったのですが、小学生時代の歯の手入れが大人になってからの歯に大きく影響するようです。
次の詩は、国リハ時代に第二の故郷である岩手県平泉町のことを回顧して作ったものです。私の第一の故郷は群馬県の子持村(現渋川市)です。子持村には、高校を卒業するまでの18年間を過ごし、その後、東京と千葉で働いていたのですが、その間は、十数年間でした。その後の二十数年間を、岩手県で過ごしました。
どうぞ読んでください。
〈私の花鳥風月〉
平泉の春は
色とりどりな共演になる
遠くの峰々は白く光り
清く澄んだ空は青さが広がる
畑のあちこちにタンポポが花咲かせ
家々の庭には
赤 オレンジ 黄色なチューリップ
その片隅にはクロッカス
空と地球の間には
桜並木と
梅花のピンク
畦に広がるのは芝桜
流れる風は
夢を運ぶ
花鳥風月を友とし
風流韻事に楽しく浸った時もある
花鳥風月を友とする余裕もなく
思い悩んだ歳月
そんな時には
太陽の笑顔が心を顕にしてくれ
小鳥のさえずりに
小さな力をもらい
彩られた大地に
生きて行く勇気を見た
・・・・
平泉の夏は
緑がいっぱい溢れてる
匂い零れる森の息吹
蝉は歌い
雀は踊る
風に逆らいながら
飛び廻るテントウムシ
薔薇に口づけをする
ミツバチたち
広がる田んぼには
波打つ青き早苗
空蝉を喜ぶ
男の子
小川の流れには
赤い背をした
小さなザリガニ
・・・・
平泉の秋は
黄金色が田に満ちる
そんな大地の下深く
義経弁慶たちが歩いた
足跡が刻まれて
夢見た兵も
静けさに溺れている
つくつくぼうしが
愛を語らえば
茸や栗は山盛り
響き渡る虫の音の
町を包む心地よさ
青いキャンパスに描かれた
飛行機雲も音なしで
里の実りに
爽やかさを加えてる
花鳥風月を友とし
風流韻事に楽しく浸った時もある
花鳥風月を友とする余裕もなく
思い悩んだ歳月
そんな時には
太陽の笑顔が心を顕にしてくれ
森に流れる涼風に
小さな力をもらい
上空光る稲光から
強く生きる命を見た
・・・・
白く眠る冬
秋の実りに感謝して
夏の働きに満足し
春の目覚めを待ちながら
一年を疲れを慰労して
穏やかに眠る空さえ
凍る町
それが平泉
▽平泉と言えば、思いだすのは源義経が兄頼朝の追ってから命からがら逃れて、隠れ住んだ土地という事だと思います。
平泉の四季を逍遥すると、義経や弁慶が歩いた土地だという思いが心の底から湧きだしてきます。
この詩を読んでくださった皆さんが、四季折々の平泉を歩いてみたいと思ってくださったなら嬉しいです。
ありがとうございました。
石田眞人でした
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