第二十一号 大洋の一滴
マザーテレサを中心としたシスターたちが、行き倒れの人たちや重い病気に罹患していても、貧しくて医療を受けられない人達、孤児や貧しい家庭の子供たちのための施設を運営していたことは周知の事実ですが、次の話はそんなマザーテレサの運営する『子供の家』での出来事です。
「ある日、子供の家の砂糖がいつの間にか無くなってしまったのです。それを知ったひとりの幼な子は、家に帰り母親に言いました。『お母さん、僕三日間砂糖はいらないよ。僕の砂糖をマザーに持ってゆくよ』とです。そして、三日後に母親に手を引かれ、その子は砂糖を持って施設へやってきたそうです。」
マザーテレサは、その幼な子を見て、人間の愛の大きさを知ったと言っています。その子はまだ、マザーテレサの名前もよく言えないような幼い子供だったという事です。
マザーテレサの名言集の中に、次の言葉があります。
「私たちのしていることが、大洋の中の水一滴(ひとしずく)であることを知っています、でもこの一滴(ひとしずく)が無ければ、この大洋に一滴(ひとしずく)の水が足りないことになるのです」
私は想うのです。もしも、私自身の存在や行いが大洋の中の一滴(ひとしずく)であるのなら、清い一滴(ひとしずく)でありたい…と、です。
コロナ問題が起きてから人の汚い心(自分勝手な行い)が目につきますが、まだワクチン接種が始まる前には、コロナに感染し入院中の人やホテルで療養中の人達が街に出歩き、遊び歩いていると言う話を聞きました。そんな人たちに『砂糖を我慢してマザーテレサの子供の家に持って行った、幼な子』の話を聞かせてやりたいと思うのです。この話を聞いて、自分の行いを恥ずかしいと思うはずです。もしも、何も感じないとしたなら、コロナウイルスに身体だけではなく『心』まで侵されているのでしょうね。
私の作った詩は、自戒の想いを込めたものや、自身の感じたままの心象風景を描いたもの、これから生きて行く上での決意を表したものが多くありますが、最初の詩は、自分を戒め、生きて行く上の決意を表したものの一つです。これは国リハでの一コマでした。
どうぞ読んでみてください。

〈一日は長い しかし一生は短い〉

いつもよりも
遅い時間に目をさまし
いつものように
ルームメイトに声をかける
「今日は晴れている?」
「雨ですねぇ」
気配を消して
静かに降り続く雨
まるで嫌われていることを
知っているのに
意に介することもなく
小鳥の微かな囁きにさえ
負けてしまう雨音
silent rain
静かに降り続く
silent rain
いつまでも いつまでも
『雨音はショパンの調べ』という歌があったが
今朝の雨は
silent rainだ
窓を閉め切っていると
世界中の音が
消え去ってしまう
そんな空間は
心を空しくできる
しかし
一方では
全身が
哀愁に捕らわれてしまう
その哀愁は
私の心の反映なのかもしれない
・・・・
そっと 窓を開いてみた
すると 小鳥の歌に隠れるように
雨の気配は
内耳神経を伝わり
私の全身を震わす
その気怠さに
私の気持ちは
深く沈んでいく
ふと心で呟いた
「お前を嫌ったことを謝るよ」
「そんなに遠慮することはないよ」
そこに私の足りないものを見た
玉響
私自身を想った
私という存在は
どこを探しても
ここにしかいない
天上に光る星々も
同じものは一つとしてないであろう
数十億以上あるであろう
惑星も
個性に満ちて
無限大な宇宙を
形成しているのである
その広い宇宙空間に
私という個性体は
一つきりなのである
嬉しくなってくる…
なんて可笑しいのだろう
続けて思考した
私という
一つしかない個性体が
人生と言う
これもまた一つしかない
小説を作っている
直線的な風景よりも
winding roadの方が
美しく見える
まさに私の人生は
美しいことであろう
そうだとすれば
私という存在も
まんざらではない…楽しい
腹を抱えて笑いたくなる
振り返れば
苦しいことが多かった
悲しみに溢れていた
口惜しさと戦い続けた
辛さに負けそうになった
それだからこそ
喜びも大きく膨らんだ
楽しい人生だ
ウキウキしてくる
これからも
同じ人生を行くことだろう
・・・・
一日は長い
しかし 一生は短い
心して行こう
悲しいこと
腹立たしいこと
嫌なこと
泣きたいこと
苦しい日々は
胃酸で溶かして
雪隠に流してしまおう
沢山の想い出
感動したこと
喜びに溢れた出来事は
大きな声で笑いながら
心に刻もう
ひとつしかない個性体で
過去にもない
もちろん未来にも
広い宇宙のどこにもない
たったひとつきりの
人生を作り出そう
私だけの生きた証を
一日は長い
しかし 一生は短い
心して行こう
winding roadを…

※winding road(ワインディング ロード):直訳すると曲がりくねった道ですが、私は「緑で溢れる金精峠」をイメージしました。

▽皆さんは、自らの個性や、正確について、客観的な目で見つめたことはありますか。
静かに雨の降る日に、自己を分析してみることも、楽しいのではないでしょうか。
ところで、『雨』と言えばひとことで終わってしまいますが、日本には、数えきれないほどの呼び方があるようです。そこで、PCで簡単に調べてみました。以下は、PCからの抜粋です。
その降り方で分けた呼び名には、弱く細かく降る「小雨」「霧雨」「小糠雨」(こぬかあめ)「時雨」。などがあります。
季節ごとに分けてみると…春の雨の中には、桜の花が咲く頃に降る雨を「桜雨」や「花の雨」と言い、春のにわか雨を「春時雨(はるしぐれ)」と言い、桜のころに降る時雨なら「花時雨(はなしぐれ)」と言います。
夏の雨の中には、初夏の青葉を艶やかに見せる雨を「青葉雨」や「翠雨(すいう)」「緑雨」などと言い、穀物や草木を潤す雨を「瑞雨(ずいう)」や「穀雨(こくう)」「甘雨(かんう)」などと呼びます。洒涙雨(さいるいう)」と呼ばれる雨は、七夕に降る雨です。織姫と牽牛が逢瀬の後で流す涙、あるいは逢瀬が叶わなかった哀しみの涙雨といわれています。七夕の切なさが伝わってくる雨の名前です。
秋の雨の中には、秋の長雨の季節に入る雨を、「秋入梅(あきついり)」と言い、秋の長雨のことを「秋霖(しゅうりん)」や「秋湿り」と言います。
冬の雨の中には、晩秋から初秋の冷たい雨を「氷雨(ひさめ)」と言い、冬の冷たい雨を「冬雨(とうう)」や「寒雨(かんう)」「凍雨(とうう)」と言います。
以上、ほんの一部を紹介させてもらいました。
次の詩も、私が、国リハで学んでいるときに作ったものです。
朝昼晩と国リハの食堂で食事をとっていたのですが、私たちの健康を考えてくれている為なのか、薄味でもの足りず、時折不満を持ってしまっていました。そんな自分への戒めです。どうぞ読んでください。

〈雨夜の星と雨夜の月〉

伊豆修善寺にて
療養中の
夏目漱石は
日記にこう記したそうだ
『夜は朝食を思い
朝は昼飯を思い
昼は夕飯を思う』と
それは
胃潰瘍で吐血の挙句
絶食を強いられ
粥が許された時の
日記らしい
僅かな粥の美味しさを
噛みしめていたことだろう
・・・・
私はと言うと
すっかり贅沢に慣れ親しんでしまった
量が少ないとか
味が薄いとか
味噌汁がぬるいとか
たまには肉を食べたいとか
缶詰は嫌だとか
我がまま放題なのだ
「いい加減にしろ」と
漱石に言われてしまいそうだ
「生きていられることに
感謝しなさい」と
樺太に住む同胞の命を
ソビエトの侵略から守った
数名の
若い女性電話交換手に
言われても仕方ない
・・・・
贅沢になればなるほどに
物が豊富になればなるほどに
便利な生活に慣れてしまえばしまうほどに
目指しているゴールラインや
命の尊さを感じる心や
感謝して生活する気持ちから
遠のいて行くような気がしてならない
人間にとって
何が大切なのか
誰もが知っているのに
誰も解っていない
生きることの目的はなんなのか
すべての
生きとし生けるものたちは
はっきり理解して生きているのに
人間だけが
曖昧に生きている
なぜ今
ここに存在しているのか
動物も 植物も
嫌われ者の虫たちでさえ
認識しているのに
これほどの 文明を持った
人間たちは
なぜか どうしてなのか
自分の存在意義を
見いだせないでいる
・・・・
霞や雲を
つかもうとするよりも
今は見えなくても
厚い雨雲の向こうに光っている
宝石のように
散りばめられた星に
希望を持って生きてゆきたい

▽皆さんは、その昔、電話をかけるときには、電話交換手が繋いでくれていたことをご存じでしょうか。
第二次大戦の終焉の日・1945年8月15日に世界を相手にした戦いが終わると同時に、無抵抗な日本に対し、ソ連は武装蜂起し日本との不可侵条約を一方的に破り、どさくさに紛れて樺太(ソ連ではサハリンと呼んだ)を始めとした北方領土に侵攻し、力づくで北方領土を奪い取った事実があったことは周知のことですが、その時に同胞の命を守った数名の電話交換手がいたことをご存じの方は少ないと思います。
私は時々想うのです。
『私自身、命を賭して何かを成そうとしたことはあるのか』とです。
現状に甘え、わがままになっている自分を戒めることも、時には必要ではないかとです。
ありがとうございました。
石田眞人でした