第十五号 見えない見え方
皆さんは、困ったときや悩んだ時に、何を想いどこに帰りますか。私の場合は、健常者の皆さんや生まれつき障害を持っている方たちとは違った歳月を過ごしてきました。生まれてから四十半ばまでは見えている日々を歩み、その後は、見えない日々を送っています。見えている頃は1.5の視力があり、眼鏡とは無縁の生活でした。その生活が、180度変わったわけです。
私が目を失くしてから一つの分水嶺を向かえたのは、塩原センターや国リハとの出会いです。特に塩原センターで出会ったケースワーカーの先生の存在が大きかったのでした。今思い返せば、二つの道が待っていたように思います。
一つ目の道は、何もかもが嫌になり途中で人生を投げ出すか、不貞腐れた日々を送り無意味な残りの日々を過ごして行く道。
二つ目の道は、自らの置かれた環境を受け入れ善処しようと努力する道、つまり今の自分が歩んでいる道です。もちろん、これからも何度か分かれ道が訪れることだと思います。 そんな時に振り返ってみる原点が必要ではないでしょうか。
PCに復元ポイントがあるように、私にも大小さまざまですが、いくつかのポイントになり得る出会いや出来事があります。その中で最も大きかったのが、塩原センターや国リハでの生活です。
話は変わりますが、皆さんは、見えないと言うことをどれくらい理解してもらっているでしょうか。いつも一緒にいる妻でさえその理解度は薄っぺらなものです。
ところが、私を指導してくださった塩原センターのケースワーカーの先生は、心の中まで理解してくれているように感じたのでした。そのことを聞いてみると、次のようなことを教えてくれました。
視覚障害者を指導するにあたり、実際に目隠しをして、全盲状態で白杖をもって所沢の国リハ(国立障害者リハビリテーションセンター)から新宿にある都庁まで、誰の力も借りずに行って帰ってくる訓練をした、と言う事でした。これには驚きました。視覚障害を持つ私でさえ、そんな勇気はありません。
それで、今まで私の詩を視覚障害者支援センター熊谷のホームページに載せていただきましたが、この辺でもう一度原点に帰って、見えないということを詩にしてみました。思いつくままに書いたので、わかりづらいところもあるかと思いますが、読んで見てください。少しでも見えないとどんなことに困るのかを、知っていただけたなら幸いです。
〈見えないということ〉
障害を持ってしまい
見えなくなったということは
例えば 掃除をする時
部屋に掃除機をかけることはできる
しかし ちゃんとゴミが取れているのかはわからない
例えば 選択をする時
洗濯機で洗い
干して 取り込むことはできる
しかし 洗濯物が本当にきれいになったのかはわからない
例えば 料理を作る時
材料を切ることはできる
しかし その大きさをそろえて切ることは難しい
例えば カップラーメンにお湯を注ぐとき
その重さや注ぐ音の変化で
どれくらいのお湯を注いだかはわかる
しかし集中力を欠いた瞬間
指に火傷をしてしまう
例えば テレビを見ている時
ドラマではその中の会話で内容はなんとかわかる
しかし ニュースやお天気情報で「ごらんの通りです」と言われても
何のことやらわからない
例えば テレビのリモコンを探すとき
いつも置いてある場所からたった数十cm動かされると
それだけで どこにあるのかわからなくなる
例えば パソコン操作をするとき
音声ソフトをインソールすればキーボード操作はできる
しかし マウスは使えない
例えば シャツを着るとき
手探りで裏表や後ろ前を確認することで
一人でも着ることはできる
しかし 時間はかかる
例えば 食事の時
茶碗のご飯を口にかきこむことはできる
しかし 目の前に置いてある沢庵などのお惣菜を
正確に一切れだけ箸でつまむことはほぼできない
また 口を汚さずに
箸でお惣菜などを
口の中に入れることは困難極まる
それから テーブルのどこに何が並べられているのかはわからない
それだけではなく
床に沢山の食べくずを落としてしまう
例えば コーヒータイムの時
十分に気を付けているつもりでも
コーヒーカップを倒してしまうこともある
例えば 白杖を使い街を歩く時
頭に描いた地図通りに歩くことはできる
しかし まっすぐ進むことは意外に難しい
それから 信号機が青か赤なのかわからない
そうして 段差がある道やでこぼこ道はとっても怖い
一番困るのは
ひとつ道を間違えただけでとんでもないところへ行ってしまう
そうして結果的に
現在地が分からなくなってしまう
例えば そこにあるものが何なのかを確認するとき
指が目の代わりをしてくれる
例えば そこにいるのが誰なのか理解するとき
その人の声を聴くことで確認できる
・・・・
例えば 電車を使って移動したいとき
日本中どこへ行っても駅員さんが介助してくれる
それで視覚障害者の行動範囲が劇的に広がった
例えば ウオーキングをしたい時
移動支援を受けられる
それがとってもありがたい
例えば 駅やその周辺には 点字ブロックがある
点字ブロックは視覚障害者にとってとても心強い
しかし 車いすの方や乳母車を押している方たちにとっては非常に邪魔な存在だと思う
例えば盲導犬のお世話になれば
一人歩きも苦にならないと友は言う
しかし 盲導犬の世話ができるかどうか心もとない
例えば 視覚と味覚と嗅覚と
聴覚 触覚を比べてみると
視覚がほぼほぼ 8割占める
などと眼科の先生は言う
▽障害者にあまり気を使いすぎたり、気の毒がらずに、真っすぐな気持ちで向き合ってくださると、私たちも嬉しいのです。何か理解できないことがあったなら、質問してくださればありがたいです。
話は飛びますが、ここで、先日読んだ本の中にあった川柳を紹介したいと思います。
『親思う 心に勝る 親心』
これを読んで、年老いた母や、亡くなった父を想起しました。
私の父は、亡くなってから十一年になります。そして、母は特養にお世話になり始めてから、もう五年以上になります。母の様子を見ていると、職員の方たちに良くしてもらっていることを感じます。
次の詩は、ある街のある施設での本当の日常会話を書いたものです。
お年寄りは、こんなことを考えているのかと、深刻になったり、少しだけほほえましくなったりもしました。また、施設の介護士さんのご苦労を感じました。どうぞ読んでみてください。
〈長生きしましょうね〉
これは ある老人施設での会話です
毎日交わされている
実際の会話です
「A子さんおはようございます」
『おはよう』
「もうすぐ朝ごはんですよ」
『そうかい 今朝は腰が痛くてたまらないよ』
『私は100歳を超えてから腰が痛くて困るよ』
「えっ!それまで痛くなかったのですか?!それは驚きですね」
・・・・
「B子さんおはようございます おむつの交換に来ました よろしいですか」
『ああ!おねがいね』
『私は早く死にたいよ』
「どうしてそんなこと言うのですか!まだまだ生きていてください」
『まだ生きていていいのかい?!』
『迷惑ばかりかけるけど…生きていてもいいのかい!』
「もちろんです!これからも うんと迷惑をかけてくださいね」
・・・・
「C子さん…お休みですか…」
「おやつの時間ですよ」
『私・・死んじゃった!』
「まだ生きていますよ」
『まだ 生きてるのかい…
そうかい まだ生きていたのかい
死んじゃったかと思ったよ』
「夢でも見ていたのでしょう?!」
ある日ある時ある街の
ある施設での日常会話でした
▽不謹慎ですが、私はこの会話を人伝えに聞いて、思わず笑ってしまいました。
昔は親を施設にあずけることへの、罪悪感がありましたよね。今はそんな気持ちも、だいぶ減ったのではないでしょうか?!
母は、まさか施設のお世話になるとは思ってもいなかったと思いますし、私も、まさか視覚障害者になるとは思ってもいませんでした。
それだからこそ、人生楽しくてやめられませんね。苦労は香辛料、わずかな喜びを増やしてくれる魔法の調味料ですね。そんなことを考えられるようになったのも、沢山の人達との、一期一会のおかげです。
新型コロナウイルス問題が持ち上がってから、なお更に、看護師さんや介護士さんのありがたさを感じます。
今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。
石田眞人でした