2021年2月13日23時07分…10年前を想起させるような、大きな地震がありました。
しかし、大自然はそんなことはどこ吹く風とばかりに、今年も例年通り、季節はゆっくりと移ろい、夜明けは早くなり、同時に夕暮れは遅くなってきました。
そうこうしているうちに、昼間は陽だまりの中に入ると、穏やかな温かさに包まれる季節になりました。やがて太陽が西に傾くと、まるで一日の苦労を癒してくれるがごとき見事な夕焼けが、西の空を覆ってくれます。
そんな陽気に誘われて、荒川土手沿いの桜並木も、今か今かと花開くタイミングを伺っているように感じます。一足早く季節を先取りした菜の花は荒川土手をライトイエローに染め、その花全身からふくよかな香りが放たれています。桜並木が満開になると、桜色と菜の花の黄色が醸し出す光景は、私たちに春の幸せをプレゼントしてくれます。
例年ならばそろそろ鶯が声高らかに泣いても良い季節ですが、今年はいまだ鶯の声は聞こえてきません。まさかコロナの影響ではないと思いますが、去年の今頃作った俳句を紹介させてください。
「鶯や 霞む林に響く声」お粗末でした。

ところで、私が塩原視覚障害者センター、自立訓練を受けている頃には、茶道クラブと華道クラブに在籍していました。
「見えなくてもお花が生けられたのね」と思ったあなたは、優しい人です。
「見えないのに、お花を生けられるのですか」と、思ったあなたは、率直な方です。
その通りです、生けることは難しいです。
一度は自分自身で生けるのですが、最後には、先生にほぼ100%手直し…というか、生け直してもらっていました。それでも、先生がお花のことを教えてくれたり、お花に触れられたりすることが、楽しかったのです。先生に生け直してもらった花々に触れて、自分の生け方と、先生の生け方を比べてみることも楽しかったのでした。
茶道クラブには、美味しいお菓子が食べられるという単純な理由で入ったのでした。茶道クラブの活動中に、先生が「利休の言葉」を紹介してくれたことがあります。それは次の通りです。
「おもてなしは、もてなす相手のためにいろいろと準備をするときから始まっています。例えば、お茶会で使うお菓子を準備するときには、そのお菓子を食べてくださるお客様のことを思い、その方の好みを考え抜いて選びます。すでにそこからおもてなしは始まっているのです。そして当日は、お客様は熱いお茶が好きなのかぬるめが好みなのかを考えて、淹れて差し上げるのです」と、話してくれました。
またこんなことも話してくれました。
「利休の言うおもてなしの基本は、もてなす側の主人は『お客様の立場で考え』もてなされる側は『もてなしてくれる主人の立場で考える』」と、です。
まさしくこれこそが、日本の「おもてなし」の基本なのでしょうね。「この気持ちを忘れた人は、日本人ではありません!」と、叱責されないように私も気を付けます!
次に紹介したい言葉は、まだ見えているころに読んだ本の中に書いてあった言葉ですが、能天気な私でさえ考えさせられた言葉です。
『愛されようとする努力は虚しいが、愛するための努力にこそ価値がある』
いかがですか?思い当たることはありませんか?私は今になって、この言葉の重みを感じられるようになりました。それも、障害を持ったことの効用なのかもしれません。
初めの詩は、国リハで学び始めて二年目のことだったと思いますが、同級生との関係やら、生徒会での仕事が上手くゆかなくて行き詰まったことやら色々と重なり、学生の本分である、勉強も手につかずに思い悩んだ時に作ったものです。
そのころは、自分のことを理解してほしいという気持ちが強すぎて、他人を理解しようとすることを忘れていたように思います。
私自身が、自問自答する姿を思い浮かべながら、読んでください。

 

〈MASATO君へ partⅢ〉

君は何を迷っているのだい
君は君の道を行くしかないじゃないか
たとえ人が右の道へ行くと言っても
あるいは左の道が近道だとしても
君が真中の道を選んだのなら
君の信じた道を行くのが一番goodな選択肢だと思うぜ
今まで君は迷いに迷ってここまでたどり着いたのだろう
その経験は決して無駄ではないと思うぜ
そうか君は今
過分な欲望を持ってしまったのだね
そこが第一の問題だと思うぜ
人に何かを望み求めることはナンセンスだぜ
ただ純な愛でもって
君の思う道を行けば問題はないのさ
難しいかい
そうだね困難なことだよね
人類の歴史は
それで躓き続けて来たのだからね
過去の歴史と同じ間違いをするなよ
人から何を期待しているのだい
そんな気持ちは捨て去ることだよ
ところで君は
地位や名誉が望みかい
それとも人から好かれたいのかい
君の行動はそんなに安っぽいものなのかい
あきれちゃうぜ
相対的なものよりも
絶対的なものを求めていたのではないのかい
初心に帰ろうぜ
そうしてゆっくりと歩いて行こうじゃないか
謙虚さをもってね
そうすれば重いコートを
一枚また一枚と
捨て去ることができるのではないのかい
その結果いつの日にか
太陽のある国へたどり着けるに違いないぜ
胸を張り背筋を伸ばして
満面な笑顔で進もうぜ

▽私が塩原センターで自立するための訓練を終え、翌年国リハに入学しようとする年に東日本大震災がありました。
それは、忘れもしない2011年3月11日14時46分のことでした。
その時は、妻と力を合わせれば、お菓子作りも出来たのです。
私が国リハへ入るまでは、岩手の県南の小さな村で、小さな和菓子屋さんを営んでいました。それで、毎日隣町のお土産屋さんに納めるお菓子を作っていたのです。すべて手作りだったので、目は見えなくても、妻に異物が入っていないことなど確認してもらえば私自身の手の感覚でお菓子は作れました。
その日もいつものように、作ったお菓子を大きな天パンに並べ、大きなオーブンに火を入れ、「さあ!焼き始めるぞ」と心の中で言った瞬間でした。
最初は天を突きあげるように上下に大きく揺れ始め、立っていられずに思わず座り込み、妻に「頭を守るように」と指示をした時、積み上げた天パンは崩れ、オーブンの火は消え、電気も消えて、棚のものすべてが床に落ちて割れてしまいました。その後も横揺れがしばらく続き、まるで揺れは収まらないのではないか?と思えるほどでした。
気持ちが落ち着き、落ちて壊れたものを整理しているときに、アナログの置時計を拾いました。妻に「動いているの」と聞くと「午後2時46分で止まっているよ」と教えられました。そのことは忘れられません。
その日から一年後に作った作品です。どうぞ読んでください。

〈一年が過ぎて〉

2011年3月11日14時46分
あれから季節は一回廻り
そして今
断腸の想いで黙祷を捧げている
・・・・
妻と母を喪った先輩
家を持って行かれた友
家財も新車も捨てて
命からがら逃げ伸びた人たち
子供が流されたあの日
仕事を失った人々
街ごと飲み込んだ津波
今年の春は遠く
冬が根強く居座っている
震災の日を忘れることなかれと言わんばかりに
この日の涙は
未来への祈り
この日の恐怖は
世界への警告
この日の驚きは
人類への戒め
・・・・
2011年3月11日14時46分
あれから季節は一回廻り
そして いま断腸の想いで
黙祷を捧げている
・・・・
大地は飛び跳ね
海は富士の如き壁となり
アフリカ象の群れのように押し寄せ
日本に食いついた
あの日の夜は
暗さと寒さに震え
通電したその日からは
メディアの流す情報に
心を失い
涙を失くし
街の灯りは落ち
星の光も消えた
今年の春は遠く
冬が根強く居座っている
震災の日を忘れることなかれと言わんばかりに
・・・・
あの時 すぐに
国が動き
そして 次の朝からは
街が団結し
人は励ましあい
メディアの叫びに
国民が動き出した
アメリカは いの一番に
友達作戦を叫び
トルコ 中国 韓国は
大急ぎで 勇気を運んで来てくれた
世界のすべての国々が
援助の手を差し伸べて
地球がひとつに団結し
真ん丸になった時
それは忘れられない
あの日の出来事
2011年3月11日14時46分
あれから季節は一回廻り
そして いま断腸の想いで
黙祷を捧げている
・・・・
今年の春は遠く
冬が根強く居座っている
あの日あの時
世界が手を取り合い
地球儀よりも丸くなった地球を
忘れることなかれと言わんばかりに

▽大震災のために新幹線も各駅停車も高速バスさえも停止し、どうやって岩手から所沢へ行こうかと悩みましたが、結局国リハの入所日も二週間伸びたのでした。
皆さんは、震災の日何をして過ごしているさなかでしたか?私だけではなく、誰もが、青天の霹靂であり、驚天動地でもあり、未曾有うな出来事でしたよね。想い返せば、慄然とし、背筋に恐怖が走ります。
皆さんは、忘れかけたりはしていませんか?
この経験をもとに、何を学び今後どうして行くかが大切ですよね。私は、過去の出来事から学ぶことのできる、視覚障害者で在りたいと思います。
ありがとうございました。
石田眞人でした。