第六号 心は宇宙を駆け巡る
私は障害者の仲間入りをしてから、様々な障害を持つ人たちと、交流する機会を持つことができました。すると、私の想像する以上に障害を持つ人たちの中には優秀な人が多くいることに驚かされました。そのことを通じ、自分ではそんなつもりはなくても心のどこかに多少なりとも障害者に対して偏見があったと気づかされた次第でした。
素晴らしく頭の回転の速い人、純粋で心の奇麗な人、絶対に人の悪口や不平不満を言わない人など、沢山の人と出会いました。もちろん、障害者も普通の人間ですからそんな優秀な人ばかりではありませんので、悪しからず。
話は変わりますが、私は訪問マッサージの仕事をしています。
今年(令和二年)は新型コロナウイルス問題で施設には入れなくなり仕事は激減してしまっていますが、その反面ありがたいことに私のマッサージを待っていてくれる患者さんもいらっしゃいます。
私のマッサージを受けてくださる人たちは、そのほとんどはひとりでは出歩けない方たちです。それで、庭の片隅やプランターを上手に使い野菜を栽培していたり、花を育てて楽しんだりしている方もいらっしゃいます。
ある方は「庭に一凛バラが咲いたのよ」とか「この前、古代蓮を見てきたの。先生にも見せたいねって娘と話していたのよ」とやさしく声をかけてくださいます。それは、私にとって心温まる瞬間です。しかし、そんな時始めの内は、決まってこう続けて言うのです。
「先生にこんなこと言ってごめんなさいね」とです。
そんな時には、私は答えて言います。
「そんなことありません!バラが咲いたお話を聞くと私の空想が広がります」
「ですから これからも教えてください」と・・・
そうなのです。見えない私にとって、そんなお話は貴重な情報の一つなのです。私はいつも移動支援をお願いして、荒川土手を歩いています。そんな時にも、いろいろとお話をします。例えば・・・
「西の空が夕焼けで奇麗ですよ」と聞けば、秩父の山々の稜線に赤く染まった太陽が沈み行く光景が瞼に浮かびます。
「暖かくなってきたので 毛虫が土手を這いまわりだしましたね」と聞くと、ようやく春が訪れたかと心が弾みます。
「今日は良く澄んだ青空で、周りの山がよく見えます。赤城山も浅間山も、それから富士山も顔を出していますよ」と聞きと、雲一つない蒼穹を想い頬にぶつかってくる寒風でさえここちよく爽やかな気持ちになります。
そんな美しいことばかりではなく、まれには驚かされます。それは・・・
「足元を蛇が横切っています 踏まないように気を付けてください」と、いった具合にです。そんな光景を想うと背筋が寒くなり、慄然とし足も急停止します。そうすると、私の心は大いに刺激を受け、空に山に、そして宇宙の果てまでも馳せめぐります。そうして、空想が広がります。それはそれは、楽しいひと時です。
そんなとき私は、心の中だけでほくそ笑みます。
『これは見えない私の特権だね』と、です。
見えている皆さんにとっては他愛ないことでも、見えない私にとっては重要な情報ばかりがそこにはあります。
最初の作品は、無事国試に合格して行田のアパートで暮らし始め、数年経った頃のものです。それは、ある日のテレビニュースの情報をもとに、空想を広げてみたものです。久しぶりに明るいニュースを耳にして、嬉しくてうきうきした気持ちで、勢いに任せて書いた詩です。 どうぞ読んでみてください。

〈スーパームーン〉
宵の明星も
天の川さえも 脇役のごとき
スーパームーン
優しい光を放ち 微笑みを浮かべ
ローマの休日を楽しんでいる王女様のような
スーパームーン
月の真ん中でウサギのるるちゃんは
「下から見ちゃだめ」とミニスカートを抑えて上目遣いで見ている
スーパームーン
今晩ばかりは あの鼠小僧といえども
仕事にならんと地団太を踏む
スーパームーン
ルパン三世は富士子ちゃんのことさえ忘れ
その美しさに魅せられ ホテルのバーでグラスを傾けている
スーパームーン
ゴジラとガメラはそろって東京湾から顔を出し
ハートな目をして口から火を噴き噴き 見上げている
スーパームーン
アンパンマンとバイキンマンは 肩を組み
鼻歌交じりにタップを踏み 見惚れている
スーパームーン
トムとジェリーは仲良く手を繋ぎ
にっこり笑顔で夜空を見上げ 喧嘩はお休み
スーパームーン
メイとトトロは屋根の上に座り
肩を寄せ合い お母さんの健康を祈っている
スーパームーン
かぐや姫も乙姫様も 仲良く
「いいね」を狙ってスマホを向けている
スーパームーン
目の見えない私はといえば 水月よろしく
そっと瞼を閉じ 心に映す
スーパームーン
誰でも彼でも 今宵限りの
スーパームーン

▽皆さんの中には「トムとジェリー」の漫画を見たことのない方もいるのではないでしょうか。私の心の中では「スーパームーン」という一つのキーワードから、昔見た漫画や出来事が走馬灯のように想起されます。
障害を持つということは、見方によっては、健常者と比べて何かが劣るとも言えます。
しかし、見方を変えれば、その劣った部分を何かが補ってくれているとも言えます。率直に言えば、人よりも優れた部分を持つともいえるのではないでしょうか?!
見えなくなった今、見えている頃よりも、想像力はたくましくなりました。

次の詩は、国リハで勉強に勤しんでいる頃、私の欲望をユーモアたっぷりに描いたものです。少しストレスが溜まり、心を勉強以外に向けて想像してみました。
それは、真夏の暑い日の昼下がりのことです。皆さんも私と一緒に妄想を働かせて、欲望を膨らませてください。何を妄想するかは皆さん自身の自由です。

〈興奮して 大きくなって 占領された心〉
一刹那 僕の頭の片隅を
なにやら 白い影がよぎった
それが始まりだった
あれから一分が過ぎた
気が付くと その白い物体が
勢いよく 僕の頭の中で
増殖をし続けている
それが 僕の心を
擽った
それは玉響なことだが
僕のウブな心に侵入してきた
・・・・
それから三分が過ぎただろうか
ここまで占領されると
自分の力では
どうにも 止まらない
付け加えて 言うと
お医者様でも 草津の湯でも
手の施しようがないだろう
どうしたものか
すでに何も考えることができなくなってしまった
そうして 気が付くと
その白い物体は
徐々に下降を始め
胸のすべてに溢れ
風船のように膨らみ始めている
僕の大切な Heartまで占拠されては
自分で自分をコントロールできはしない
僕は心の中で叫んだ
「欲しい 僕は君が欲しいんだ」
白くて すべすべの肌
両手で モミモミすると
プルンとして ポニョンとしてボニューントして
その感触は 僕の手の中で 優しく広がり
強く握るとつぶれてしまいそうだ
指をたて つんつんつつけば
ポホポホと凹む
その弾力は モッチリとして
丸でつきたての大福のようでもある
・・・・
「痛い 優しく噛んで」と
耳元で囁く声がした
いや したような気がした
ぱくりと くわえて
舌の上で転がすと
僕の興奮は 絶頂に達する
すでに どれくらいの時間が
過ぎ去ったのか 感覚さえなくなるほど
心も身体も占領され
もう どうにも止まらない
そうだ 思い切って
君に会いに行こう
すぐに出かけよう
・・・・
暑い夏は
心ゆくまで 冷やして
心まで冷える 冬は
熱々のお湯の中で
シンまで 温めて
薬味には
生姜や みょうが
そして シソ
柚子も良いだろう
それと 長ネギは欠かすことはできない
上には 花かつおを乗せて
醤油をかけよう
いや ポン酢にしよう
木綿も良いな
絹ごしの舌触りは
例えようもない
困っちゃうな
どうやら僕は
お豆腐なしでは生きられないようだ
今日は真夏の Blue Skyに浮かぶ
太陽が いつも以上に原気だから
氷に乗せて カチンカチンに冷やした
冷やっこにしよう!

※玉響(タマユラ)とは:玉がゆらぎ触れ合うことのかすかなところから、「しばし」「かすか」の意味に用いられる。また少しの間。ほんのしばらくという意味にも用いられる。

▽私は、この「玉響」という言葉の美しさに惚れこんでしまい、好んで使うようになって早十年くらいになりました。
この言葉はNHKの、日本の言葉を紹介する番組で知りました。
話を戻しますが、私は、豆腐と納豆が大好きです。納豆かけご飯があればそれだけで十分なくらいです。
これは余談の中のまた余談ですが、お医者様や草津の湯でも治らないときには、鍼やお灸やあんまがお勧めです。「なんや!手前味噌やんけ!?」なんちゃって。失礼しました。
ところで、皆さんは、どんな想像を働かせましたか。この二つの詩は、どちらも遊び心たっぷりに書いたものでした。
話は変わりますが、私は、障害を持つ前から、野球が好きでした。それで、見えなくなった今は、ラジオを通じてプロ野球の中継を聞いています。すると、目の前に選手ひとりひとりの動きが、鮮明に見えるのです。それは正に、球場の中を、私自身の分身が、縦横無尽に飛び回り走り回って、野球を楽しんでいるが如きです。巨人の選手に『ハクション大魔王』というあだ名を持つ、外国人選手がいますが、その選手がバッターボックスに立つと、まさにハクション大魔王がバットを持った姿が脳裏に浮かびます。
なぜこんな話題を持ち出したかと言えば、失うものあれば、得るものもある。ことを言いたかったのです。私自身の経験では、見えなくなった代わりに、空想力が広がったように思います。何かを考える時間も増え、記憶力も少しだけ増しました。ほんのちょっぴりですけれどね。臭いや音には敏感になったようです。肉や魚の生臭さに対しては、少し異常すぎるかなと思うほどです。
もちろん、自分自身の、心のありようで、得られるか得られないか、また何を得られるかは、変わるのではないかと思います。
毎回、他愛のない話ばかりを書いていますが、皆さんに、障害について少しでも関心を持っていただけたならこんなに嬉しいことはありません。
最後に、これは以前お世話になったケースワーカーの先生から聞いた話ですが、白と赤の縞模様の杖を持つ人は、ヘレンケラーのような盲聾の方なのだそうです。私も初めて知りました。
ありがとうございました。
石田眞人でした