奇跡の人、サリバン先生
6月最後の金曜日。明日、6月27日はヘレンケラーの誕生日だと、施設へ向かう車中に流れていたラジオから聞こえてきました。そして、奇跡の人は、実はサリバン先生のことを言っているのだ、とも伝えていました。
ヘレンケラーとサリバン先生を描いた戯曲の邦題が「奇跡の人」であることやヘレンケラーが三重苦を負いながらも懸命に生きた姿に多くの人が感動を覚えた、というところが、奇跡の人と言えばヘレンケラーという共通認識に影響しているのだと考えますが、戯曲の原題は「Miracle Worker」であり、サリバン先生のことを指していたのだ、という指摘だったのです。
訓練をやっていると思います。指導員側がいくら頑張っても、利用者自身にやる気がなければ何も育たないし、利用者のやる気にこたえられるだけの力量を指導員が持っていないと、これまた利用者の能力を伸ばすことはできない。だから、訓練の成果は互いの相乗効果の表れなのだ、そう思うのです。それぞれがそれぞれの立場で現実に立ち向かった成果が、ヘレンケラーの身に起こったということ、だから、ヘレンケラーだけがすごいのではなく、サリバン先生だけが素晴らしいのではないとだと思うのです。
本音はどうか確かめようもありませんが、サリバン先生も、ヘレンケラーがあるのは私のおかげ、とは思っていないでしょうしね。サリバン先生の功績にも目を向けられると、視覚障害者のリハビリテーションに携わる職種の認知度も上がってくれるのではないか、と期待してしいます。