1年半の間、通所で利用していた方の訓練が1月で修了しました。

先月、美容師をしている友人が、「成人式の着付けやセットに、美容師としての幸せを感じる」と話してくれました。訓練士としての幸せを感じることとは何か…?。

訓練士としての幸せを感じる瞬間。それは、訓練修了のとき(筆者の場合)。入所の利用者に対しても訓練を行っています。ただ、毎日顔をつき合わせているので、どこか日常的な感じがしてしまいます。もちろん、通所者、入所者の区別なく、訓練には臨んでいるのですが。

訓練には、歩行や点字、音声パソコン、日常生活動作(調理や金銭管理といったこと)の訓練などがあります。それぞれに、ある技術を身に付けて、何かができるようになることを目標としています。でも、ただ技術を身に付けるだけではないと、筆者は考えています。技術を身に付けることを通して、現実を受け入れる。ひいては、自分を否定するのではなく、肯定できるようになって欲しい、と思っています。

見えていたものが見えなくなる。できていた簡単なことができなくなってしまった…。筆舌に尽くせない思いに苛まれるのだろうと思います。でも、これから先も生きていかねばならない。だから、できないと思っていたことが、方法を変えればできるようになることを知って欲しい。何もできなくなったんではない、ということを。車の運転など、物理的にどうしても難しいことは確かにある。あれだって、これだって、何だってできない!そういう堂々巡りから一歩進んでほしい。一緒に考えるから。

できないこと、できなくなったことを数え上げるのではなく、数は少なくてもできること、楽しいこと、幸せなことを数えていってほしい。今できないのなら、方法を考えてできるようになればいい。そのお手伝いはできるから。

訓練士には訓練を受けに来た利用者を変えることはできないんです。変えるのはあくまでも利用者本人なんです。利用者がその気になってくれないことにはなかなか前に進みません。

そういう意味では、今回訓練を修了した方は頑なで、あなたに私の気持ちなんかわからない!と、自分を必死に守っている、というのが、面接での第一印象でした。その方は、白杖を持って歩くことはできないと思っている。点字は独学でなんとか読めるようになった。音声パソコンも何とか使えていると話してくれました。一切口を挟ませない勢いで。

じゃ、一体何の為に訓練を希望しているのか?それでも話を聞いていると、点字の読みには苦労していることがわかり、まずはそこから取り組むことにしました。点字は右から書いて、左から読みます。それは、何故か?書いた面をひっくり返してから読むためです。だから、書いた形のまま覚えていると、読むときには左右を入れ替えねばならず、混乱します。そこで、今までと違う読み方、点の番号で読む読み方を習得するということは、ある意味、今までやってきたことを否定することでもあるので、本人も大変だったんだと思います。だから、その抵抗感は強かったです。こちらが1つ伝えると10の力で反論してくる感じ。毎回の訓練がその連続で、訓練を止めます、といつ言い出すか、ひやひやしていたそんな状態でした。

(筆者に限らず一般的な)指導員は最短で上達できるようなる方法を教えているのだから、読みに苦しんでいる今の状況を変えたいと思うなら、素直に聞き入れてやってみたらどうですか?と伝えたことがありますが、後日、これが変われた一つのきっかけであったと、教えてくれました。

そして、歩行訓練で直線を一人で自由に歩いたこと、歩けたことも、大きかったようです。外出するときは常に誰かの手を借りなければならなかったのに、訓練とはいえ、今は誰の力も借りずに自分ひとりで歩いている。そのことに気がついたことは、大きな励みになったようです。

きっかけさえ掴んでしまえば、あとはどんどん進んでいけます。人には自然治癒力があります。眼が見るようにはならにけど、眼の見えない今の状態に適応しこうと、自分の内からその力が沸いてきます。

書きたいことはたくさんあり、書き足りないのですが、一年半をまとめるには時間がかかるので、強引にまとめてしまいます。人生の大切な節目で出会い、同じ時間を過ごし、訓練修了の時を向かえ、送りだす。これが喜びなんだと思います。

これからは得意の手芸を生かして、ボランティアとして教えに来てくれることになりました。視覚障害はあるけれども、視覚障害者としてではなく、一人の人間として、この先の人生を歩んで言ってもらえたら、うれしいです。